日本の「湘南」発祥の地はどこか?
実は大磯説と鎌倉説があります(^。^)
へーそうなん?
母親の故郷、北埼玉の方言ですm(^-^)m
イントネーションは何故か関西風〜♫
左は大磯の鴫立庵(しぎたつあん)前の「湘南」発祥の碑!
右は片瀬江ノ島駅の傍らにある「ここは湘南」の碑!
湘南には海水浴場のイメージがありますね^_^
しかし!本家中国の「湘南」に海はありません!
あるのは湘江という大河と洞庭湖という大湖!
湘南鎌倉発祥説の根拠は禅宗のメッカだから!
になりますm(_ _)m
こちらは禅宗様(ぜんしゅうよう)の代表として教科書にも載っていた円覚寺舎利殿!特別公開以外、近づくこともできません(−_−)
大仏様は胎内まで入れるのですが┐( ̄ヘ ̄)┌
1543年「湘南葛藤録」という書物がここで配布されています。少なくとも、鎌倉=湘南というイメージが当時、禅僧の間で定着していたと思われます。
鎌倉に湘南を広めたのは一体誰でしょう?
夢窓疎石は後醍醐天皇から国師号を贈られますが、政敵足利尊氏のブレーンにもなって、様々なアドバイスをした人物。
二十歳の時けんちん汁発祥の寺、鎌倉の建長寺で本格的に禅の修行を開始。
31歳の頃印果(お墨付き)を受けます。
その後20年間、各地を点々としながら隠遁生活を続けた後、京都と鎌倉を往復するようになります。
瑞泉寺の「岩庭」
夢窓国師は時の権力者に影響を与えただけでなく、当時山水河原者と呼ばれた人々と共に庭作りに励み、足利将軍義政に寵愛された善阿弥等のような、技能集団が誕生する礎を築いたのです。
能、お茶、生け花などの室町文化は「阿弥」と呼ばれた人々が作りました。
義政は彼らと同じ器で共に食事をしたと伝えられています。
話を湘南に戻します(^_^;)
京都の西芳寺(苔寺)に「湘南亭」いう茶室があるそうですが、これは夢窓国師が中国の仏教書「碧眼録」の故事からネーミングしたもの!
ということは・・・
湘南発祥の地は、京都の苔寺になるん?
これも北埼玉方言!
因みにウチのお○○んはさいたま市の出身ですm(^_^)m