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御朱印ガール参上!5 東国三社巡り(鹿島神宮、香取神宮、息栖神社)

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ウチのお○○ん(御朱印ガール)のオトモをして

各地の寺社を巡り御朱印を頂くシリーズ(^_^)v

今回は茨城千葉にある最強のパワースポット!

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 去年なーまん一家はお伊勢参りにまいりましたが、江戸時代には伊勢の帰路、東国三社を巡る風習があったそうです。

 鹿島、香取の大神を奈良の都にお迎えして、藤原氏氏神としてお祀りしたのが、有名な春日大社です。

まずは鹿島神宮に早朝参拝m(_ _)m

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鹿島神宮の御手洗池の脇に有る茶店

「一休」で一休み (^。^)

「みたらし団子」漢字で書くと「御手洗団子」

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神水で調理した甘酒と三色団子!

手前の赤飯みたいなものはおまけの古代米

みたらしが、甘味噌味なのが味噌!

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奥宮は徳川家康関ヶ原戦勝の御礼に奉納したもの

 実は古代にも関ヶ原戦(壬申の乱672年)がありました。勝った天武天皇大海人皇子と呼ばれていたのは、乳母が伊勢湾一帯を支配する海人族、凡海(おおあま)氏だったからだそうです。

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現在の本殿は二代将軍徳川秀忠が奉納したもの

 伊勢神宮鹿島神宮は、天武天皇の時代に現在の場所に建てられたと思われます。

壬申の乱の時、美濃の「多氏」が活躍しますが、当時鹿島の辺りを治めていたのも、

「多氏」で、神武天皇の次男を祖先とする名門です。

そして、古事記の編者太安万侶も多氏の一族です。

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 鹿島は縄文時代から聖地でしたが、弥生時代の地層から東海地方の土器が出土し、利根川を上って群馬まで広がっていったようです。

東海と関東は水路で繋がっていたのです(・_・)エッ

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次にやって来たのは息栖神社!

鹿島に比べると小ぶりですが・・・

猫サマがイッパイ(=^ェ^=)

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猫サマを撮っていると、背後から声をかけられました!

自称「茨城の里見浩太朗」の神主さんでした(^-^;

諸事情により、写真はございませんm(_ _)m

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 喋りすぎて喉が痛いし、午後から観光バスが4台来るので、はしょって話すと言いながら、神社の由緒やパワースポットについて、30分以上説明して下さいました。

お○○んが飴をお渡しすると、喜んでおいででした(^_^)v

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 一の鳥居の辺りは古代からの船着き場で、両脇の小さな鳥居は日本三霊泉のひとつ「忍潮井(おしおい)」

 息栖神社の主祭神「久那戸神 (くなどのかみ)」大国主の命令で鹿島香取の大神を東国に案内した神、天孫族に降伏した出雲系の神様のようです。

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三社目は千葉の香取神宮

鹿島→息栖→香取それぞれ車で二十分位の距離。

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11月4日祝日の昼下がり。

七五三の参拝客で賑わっていました(^-^;

神社は早朝参拝するに限る?

鹿島みたいに・・・

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 神武天皇より先に大和に君臨していたのは饒速日命(にぎはやひのみこと)

藤原氏のご先祖、天児屋命(アメノコヤネ)は九州→近畿→東国と饒速日命にオトモしてきた子分のような存在でした。

饒速日命の子孫、物部氏が編纂したと思われる先代旧事本紀の記述による

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 日本書紀に記された「神宮」は伊勢神宮物部氏が奉じる石上神宮だけですが、平安時代以降明治まで、伊勢神宮鹿島神宮香取神宮の三社だけになります。