現在、ブログ取材自粛中(−_−)
別ブログに書こうと思っていた記事ですが、
昔撮った写真と一緒に更新しますm(_ _)m
「無礼講」とは身分の上下を忘れて楽しむもの^_^
偉い先生の講釈を拝聴するのも大事でしょうが、
今回は身の程を忘れ「素人考え」を楽しみます(^_^)v
調子に乗りすぎてクビになったりして(^_^;)
東名高速足柄パーキングから観た富士山( ̄▽ ̄)
古事記によるとヤマトタケルは足柄峠を越えて甲府まで行ったはずですが、
富士山が全くでてきません(・_・)エッ
「ここにはいつも富士がある」という市歌のある〜♫
富士吉田市も通った筈ですが・・・
曇っていたとか?
梅雨時だったとか??
この日はたまたま富士山見えましたが^_^
日本書紀では駿河で草薙の剣を振るい、賊を返り討ちに!
地元の伝説ではその後日本平で「国見」をしますが・・・
日本書紀にそうした記述はありません。
古事記では何故か舞台は相模の小野(・_・)エッ
相模には焼津も草薙もございません┐( ̄ヘ ̄)┌
記紀は、なぜ富士山を無視するのか?
富士山麓のあちこちに浅間神社が建てられるのは9世紀以降。
「竹取物語」が世に出るのは9世紀から10世紀。
都の貴族はまだ富士山を知らなかった?
しかし、ヤマトタケルの東征の目的は・・・
山河の荒ぶる神々を平らげることでは?
富士山は荒ぶる神の大ボスでは???
浅間神社のある静岡県富士宮市や山梨県の富士吉田市では、一万四千年位前から縄文人が暮していたようです。
静岡県富士宮市の千居遺跡(BC3000〜2000)
こちらのストーンサークルから夏至の日に富士山を仰ぎ見ると、かつてはダイヤモンド富士が拝めたそうです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170328-00000002-wordleaf-soci&p=1
伊勢の二見興玉神社の夏至祭は、夫婦岩の真ん中から富士山と重なって昇る太陽を拝む神事。
東国では縄文時代から富士山や太陽を拝んでいた!
二見浦の海で禊をしてから伊勢神宮にお参りするのが正式な参拝。
大倭が日本になる為には伊勢に伊勢神宮をおき、日神を習合する必要があった?
日本書紀にはその痕跡があります。
都の貴族は富士山を知らないのだから、余計な事は書かない。
徐福のこともあるし???
そんなところかもしれませんね^^
※世の中には、無礼講でも言えない公然の秘密というものがある様です。