先月鎌倉のぼんぼり祭りをご紹介しましたが
今回は平塚八幡宮のぼんぼりまつりm(_ _)m
「オタク今日から八幡神社ね!」
明治6年新政府が「平塚八幡宮」という社名を没収!
昭和58年「平塚八幡宮」に戻った記念に始まったのがぼんぼりまつり!
歴史はわずか40年ちょっと!
「平塚七夕祭り」の様に盛大でもなく
鶴岡八幡宮の様に各界の著名人の出典もなく
有名画伯の作品なのかもわかりませんが・・・
蛭子能収先生の代わりに
地元のちびっ子達が参加しています( ̄▽ ̄)
戦国時代、武田信玄に社殿を焼かれ、
徳川家康が自ら何度も参拝して復興!
江戸時代門前は大いに栄えますが・・・
明治政府にとって武家政権は「賊」も同然!
御由緒によると平塚八幡宮は西暦380年の創祀!
古すぎる由緒も明治政府は気に食わなかった?
平塚八幡宮は「相模國一國一社の八幡宮」
北条政子もここで安産祈願をしているのに!
相模の総社大磯の六所神社の由緒によると
崇神天皇の時代に出雲族がこの地に移住!
平塚八幡宮も六所のひとつで元々は出雲系!
今も境内に諏訪社を祀っていますが・・・
現在の御祭神は
応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
武内宿禰(たけのうちのすくね)
三韓征伐で有名な方々!
幼い応神天皇をダッコしているのが武内宿禰 (^_^)
後ろから二人を覗き込んでいるのが神功皇后 (^。^)
家系図をみると子孫も凄いメンバー!
長男は波多八代宿禰!秦野は元々波多庄!
秦氏の先祖、弓月君を迎えに行ったのが葛城襲津彦!
三年後、半島に応援に出かけたのが平群木菟宿禰!
武内宿禰とは何者なのか?
歌川広重作東海道五十三次平塚宿
中央に見える高麗山の山頂には、かつて高麗大権現社が祀られていました。
三韓征伐の後、武内宿禰が奏上して高句麗の神を祀ったのだそうです。
533年高麗山の麓に神功皇后と応神天皇が祀られます。
それが現在の高来(たかく)神社。
山頂の高麗大権現社は明治政府に歴史ごと消されました。
寛治元年(1087年)平塚八幡宮の御分霊が岐阜県高山市の櫻ヶ岡八幡神社に祀られたそうなので、それ以前である事は間違い無いでしょう。
日本書紀によると、東国視察を終えた武内宿禰は「東の夷に日高見国(ひだかみのくに)有り。土地は肥沃で広大!侵略すべき!!」と、上奏しています!
相模の国はその前線基地だったようです(−_−)