ここは湘南を一望出来る展望台・・・
高麗山公園の一部、湘南平ゾーン (^_^)v
山頂に千畳敷の広場があるので湘南平!
こちら伊勢原、厚木方面・・・
こちら平塚、茅ヶ崎、藤沢方面・・・
箱根の山に夕日が沈む・・・
雲に隠れてしまったので富士山は次回 (−_−)
横着して手持ちで撮ったので夜景は今ひとつ (^_^;)
伊藤博文や吉田茂、三井財閥など政財界の大物に愛された大磯ですが、古代には相模国の国府、今で言う県庁がありました。
大化の改新の後、相模国が出来ますが合併するにあたり、相武(さがむ)と師長(しなが) の境界、大磯に国府が置かれました。
大磯にある相模國総社「六所神社」
総社とはその国の主要神社の祭神の分霊を祀る神社。
都から派遣された国司の為に造られました^_^
一遍にお参りできて便利ですから(^。^)
因みに二ノ宮川匂神社の祭神は大名貴命(大国主命)
本殿は戦国時代、小田原北条氏が寄進した時は鮮やかな朱色でした。
櫛稲田姫命の他、一之宮寒川神社、二之宮川勾神社、三之宮比々多神社、四之宮前鳥神社、平塚八幡宮の分霊が祀られています。
毎年5月5日に行われる「国府祭」(こうのまち)
五社の神輿が神揃山(かみそりやま)に集結!
寒川神社、続いて川匂神社の宮司が虎の皮を持って前に進み・・・
寒川「ずーとウチが一之宮〜♫」
川匂「ダメ!今日からウチが一之宮〜♫」
無言で三度繰り返したあと・・・
「いづれ明年まで!」
三ノ宮比々多神社の宮司が仲裁に入り神事は終了!
五社の神輿が大矢場に移動!
櫛稲田姫の神輿も合流して宴会の始まり〜♫
相武と師長の一之宮争い、櫛稲田姫の婿選びとも考えられますが、いずれ明年が千年以上続いてしまったわけです^_^
集まって祭りがしたかったのでしょう ( ̄▽ ̄)
六世紀中頃、横穴墓という墓制をもった集団が大磯に移住。
高麗山周辺に千基以上の横穴墓を造ります。
古墳は新田開発の時出た残土を利用。
彼らは稲作民ではないようです。
横穴墓は宮城県まで伝播して8世紀、日本で初めて宮城県で金が発見されます。
横穴墓の担い手は、鉱山開発者達ではないでしょうか?