「鎌倉市」の誤変換ではありません!
かつて湘南鎌倉を実行支配していた鎌倉党のお話 (^。^)
「由比の長者」はその後、奈良の都に移住!
子孫は百姓になったとされています ^_^
そして外孫の源義家が鎌倉の主となりますが・・・
彼らは都の軍事貴族 ( ◠_◠ )
代官として支配していたのは御霊神社の祭神、
「鎌倉権五郎景正」をはじめとする鎌倉氏!
鎌倉氏は桓武平氏とされていますが???
本当は伊勢津彦の子孫?
それともヤマトタケルの子孫?
実は・・・渡来人秦氏の末裔か?
父系は平氏でも、母系はハイブリッドかも?
写真は名誉宮司のウッシー様 m(_ _)m
鎌倉氏は製鉄と深い関わりがあるようです^_^
そこで「鎌倉氏と鉄」というテーマで・・・
湘南モノレール沿線を巡ります (^_−
村人を苦しめていた五頭龍は江の島の天女に恋をして改心!
夫婦になりますが、頑張りすぎて過労死 (・_・)
因みにスサノオのスサは砂鉄の事らしいです。
龍口刑場近くにあった龍口明神社は西鎌倉に移転!
五頭龍は江の島弁財天と夫婦の筈なのに、神武天皇のご母堂玉依姫様と仲良く暮らしています ( ̄▽ ̄)
龍口明神社は閑静な住宅地の中に有る・・・
鎌倉で最も古く、最も新しい神社\^_^/
歴史をまったく感じさせません (^_^)v
五頭龍は湘南深沢にあった底なし沼に棲んでいたとされますが、その辺一帯は現在「梶原」と呼ばれており、元々は「鍛冶原」だったようです。
仏行寺は頼朝の寵臣だった梶原氏ゆかりの寺。
梶原氏は鎌倉氏の一族で頼朝亡き後、真っ先に北条氏に血祭りにされた一族。
頼朝に告げ口した人物 (*`∧´)
御家人仲間からも嫌われていたようです(^_^;)
息子の「悪源太景季」共々殺されますが・・・
仏行寺には景季の片腕を埋めたとされる塚があります。
妻の信夫(しのぶ)も自害!
鎌倉山には「しのぶ塚」があります。
終点大船到着!
「景」という字は鎌倉氏の通字(とおりじ)のようです。
「北条の血祭」の総仕上げはライバル三浦氏!
長尾氏も巻き添えをくって本領を没収され、
生き残った支族が上杉氏の執事となり、
越後に移住して守護代になった様です。
横浜市栄区周辺からは、古代の大規模な製鉄所や横穴墓が多数発見され、渡来系の産鉄族のカゲが色濃い所ですが・・・
宅地化が進み貴重な遺跡が次々失われています(−_−)
区民が増え、栄えるのは結構な事ですが(^_^;)