兄は真田信幸(関ヶ原のあと信之に改名)で・・・
結局通説を踏襲 (^_^;)
関ヶ原の戦いの後、上田は信之の領地になりますが城は徹底的に破壊され、信之はサラ地に屋敷を建てて20年間統治します。
今の城はその後領主になった仙石氏が建てた城!
仙石氏の後は徳川の親戚松平氏が城主に (・_・)
本丸内の神社は元々松平神社でしたが、昭和38年に真田神社に改名。
翌年テレビドラマ「風雲真田城」が放送開始 (^-^;
ただ、昌幸が上田合戦で徳川軍に勝利!
夏の陣で家康の本陣に突撃!
これは幕府や諸大名の史料に記録されています。
あくまでもドラマです (^_^;
信之と信繁の子孫はその後どうなったのか?
1622年、信之は善光寺の南約12Kmの松代に転封となり、真田家は明治まで松代藩の領主となります。
松代駅のホームと駅舎!
あれ?線路がない!
長野電鉄屋代線は2012年に廃線となり、大正時代の駅舎だけが残っています。
壁に掛かった案内板には何故か松代城ではなく、海津城と書かれています(・_・)
真田氏の居城松代城は元々、謙信が京都や小田原に出かけているどさくさに、武田が築いた海津城だったのです ( ̄▽ ̄)
千曲川を利用した典型的な「水城」でしたが、1742年の大洪水で「天然の水攻め」に遭い、城も城下も水没 (−_−)
真田は幕府に援助を求めますm(_ _)m
「弱い真田」を助ける太っ腹な徳川幕府!
水害は災難でしたが、両者の思惑が一致している様にも感じます。
また徳川吉宗のひ孫を婿養子に迎え、八代藩主は老中に出世!
外様大名の筈なのに譜代大名扱いですが、明治維新では率先して倒幕に動き、明治以降は伯爵になります (^_^)v