ここは「三代将軍源実朝」の墓ですが・・・
首は30キロ離れた秦野市に葬られています。
何故か?
その理由は次回 m(_ _)m
大河ドラマもいよいよ舞台を鎌倉に移しカーネル・サンダースも鎧兜でお出迎え (¯▽¯)
読者の皆様には人力車にご乗車頂き「鎌倉殿の13人」ゆかりの地をご案内したいと思います m(^-^)m
かつて比企ケ谷(ひきがやつ)と呼ばれたこの辺りには源頼朝、二代将軍頼家の乳母 (めのと)を務めた、比企一族の館が有りました。
アニメの衣装など驚くほどテキトーですが、内容はソコソコ (^-^;
そもそも時代劇はあくまでフィクション!
という観点で、あえて掲載致します m(_ _)m
頼朝の乳母は数人いた様ですが、比企尼は京都から所領のあった武蔵に移住!
20年間流人だった頼朝に支援を続けました。
その恩に報いる為頼朝は跡継ぎ頼家の乳母に比企一族を指名したのでした。
乳母の夫は乳母夫(めのとぶ)その後、夫婦とも「めのと」と呼ばれるようになり、 養育だけでなく後見人の役割も担いました。
ほ乳類は授乳を通じて親子関係を認知するそうで、生まれて間もなく引き離された政子と頼家に、母子の感情はあったのか?
では、三代将軍実朝の乳母は?
こちらの動画も突っ込みどころ満載 ( ◠_◠ )
頼朝と阿野全成は異母兄弟で全成や義経の母親は巴御前ではなく常磐御前ですが、 ネットの情報はかなりテキトーという観点から、あえて掲載します m(_ _)m
頼朝とすれば乳をもらい、20年も支援してくれた比企尼は「母」そのもの !
ゆくゆくは頼家と比企の娘が生んだ一幡が将軍になり、実朝と阿野一族が将軍家を支えて欲しい!
それが頼朝が思い描いた未来だったでしょう・・・
寿福寺は頼朝が亡くなった翌年、北条政子が栄⻄を招き開山した寺で、頼朝の父義朝の居館があった場所ですが・・・
頼朝が亡くなると政子の妹で実朝の乳母、阿波局の謀略により頼家の後見人だった 梶原一族が滅亡!
その報復として阿波局の夫阿野全成が捕縛され頼家の命令で誅殺 !
その報復として北条方は比企の館を急襲!
頼家の嫡男一幡もろとも比企一族を殲滅!!
頼家を将軍の座から引きずり降ろし殺害!!!
こうして三代将軍源実朝が誕生!
寿福寺境内は非公開ですが墓地は一般公開されています。
政子と実朝夫婦の関係は良好だったようで、三人して寺社参りにお出かけしたりしたようです ^_^
つかの間の幸せでしたが・・・
一説によると、頼家の次男公暁の母親は三浦一族の娘で、三浦義村が乳母夫を努めていました。
政子もこの孫を不憫に感じていたようですが・・・