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ヨコハマぶらぶら41 畠山重忠は羊たちの末裔なのか?

ここは金沢文庫称名寺 ^_^

金沢といっても石川県ではありません (^。^)

歌川広重の『金沢八景』に描かれた称名寺

鎌倉時代の浄土式庭園といえば以前、鎌倉市二階堂の永福寺跡をご紹介しましたが、こちらにもかつて二階堂があったようです。

称名寺は鎌倉北条氏の分家、金沢北条氏の菩提寺ですが、元々北条氏の領地だったわけではありません。

鎌倉時代の「横浜港」六浦津は三浦党の和田義盛の領地。

釜利谷は秩父党の畠山重忠の領地で、秩父の金沢村の鍛冶職人が釜利谷に移住してきたのが、金沢の地名由来!

以前、鎌足が鎌を納めたのが鎌倉の名の由来と申し上げましたが、朝鮮半島との関係が悪化し、鉄の国産化が迫られる中、有望な供給源が東国だったのです。

そして、鉱山開発の陣頭に立っていたのが渡来氏族、秦氏でした。

秩父和銅を発見し、藤原姓を賜った太夫秦氏か?

断定は出来ませんが、多くの渡来人や先住の毛人達をマネージメントする、有能な経営者だったようです。

秩父には多くの「羊伝説」がありますが、北極星や北斗七星を崇める妙見信仰が盛んな土地でもあります。

平良文の母親は妙見信仰の熱心な信者で、良文の子孫千葉氏の家伝「千学集抄」「千葉妙見大縁起絵巻」には次の様な伝承があります。

平将門平良文の軍勢が、平国香の軍勢と群馬の染谷川で戦い大敗!

自害を決意した時、童子姿の妙見菩薩が現れ、敵の頭上に剣の雨を降らせて二人の危機を救った・・・

「伝承とは事実と願望と暗喩の混合物である」

将門と国香の紛争地は千葉と茨城で、将門が「新皇」を称して関東の独立を宣言した時、良文は鎮守府将軍として岩手県の胆沢城にいました!

たぶん

将門と良文の子孫を自認する千葉氏の願望!

そして

秩父の羊たちが妙見繋がりで良文の味方に!

という事実を暗喩しているのでは?

秩父妙見菩薩桑の葉を持った女神のお姿で、養蚕の女神と習合しています。

畠山重忠と同じ埼玉県深谷出身の渋沢栄一の実家も、お蚕様を育てていましたね^_^

畠山重忠と息子重保は北条氏の謀略により滅亡!

重忠の妻だった北条時政の六女が足利氏と再婚!

間に出来た子供、泰国が領地と家名を相続!

それが室町幕府管領家、畠山家!

重忠と、血縁関係はありません!

金沢文庫駅からバスに乗り「白山道」で下車。

畠山重忠ゆかりの寺「白山東光禅寺」にやってきました。

www.tokozenji.or.jp

元は鎌倉薬師ケ谷(現大塔宮)にあり、薬師如来を本尊とした「医王山東光寺」というお寺でした。

応仁の乱の頃、重忠の念持仏だった薬師如来像と共に釜利谷に移転して来たようです。

謀殺されて百五十年以上、子孫もいない重忠の寺を一体だれが?

重忠が秩父の金沢村から連れて来た、鍛冶職人の子孫達と考えられます。

ただ、彼らの信仰は妙見でなく、白山信仰

白山信仰は非常に複雑でデリケートな信仰ですが、現時点の認識をまとめると...

北陸に広がる白山への畏敬の念を込めた山岳信仰

東北特有の蚕の神、オシラサマ。

隋唐時代にアジア東北部に住んでいた靺鞨(まっかつ)の白山部という民族の白山信仰

それらが習合したものでは?

www.city.akita.lg.jp

靺鞨は当時、高句麗の遺民と渤海という国を建国し、ウラジオストク辺りから北陸や東北の秋田などにしばしばやって来たようです。

朝廷軍を大いに苦しめたアテルイ達には、こうした血が流れていたのか?

将門の父良将や平良文鎮守府将軍だったわけで・・・

釜利谷の鍛冶職人達との接点も、その辺りにあるのかもしれません。