なーまんのEye-Level

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鎌倉百八景59 北条の先祖はプレ鎌倉殿か?事実と創作は混合する!

母校に「鎌倉逍遥会」というサークルがありました ^^;

平たく言えば散歩会で、実態は合同デート ( ͡° ͜ʖ ͡°)

硬派のなーまんが参加するはずありません!

友達はメンバーでした (^.^)

今はブログネタを求めて逍遥しています ^^;

今回は鎌倉文学館界隈を「逍遥」desu (^^)v

かつて鎌倉には寺の数と同じくらい小説家の家がありました。

近所を「逍遥」して 作品の構想を練っていた?

それとも???

「鎌倉文士」と呼ばれる事がステータスだった?

ここから先は有料!館内は撮影不可 (´∀`)

今回はバラまつりと企画展を観に久々の入場 (^^)

国境の短いトンネルを抜けると文学館であった。

    ノーベル賞作家 川端康成の「雪国」のパクリ

歴史は事実、文学は創作という無邪気な区分は、比較的近代のものである。

そして世の中では、両者がそれほど真剣に分別されているわけでもない。

NHK大河ドラマは、脚本家による物語だが、多くの人は、日本の歴史として楽しんでいる。

こういう物語に触発されて、史学科にやってくる学生も多い。
 

           ※ 日本女子大学教授 古川元也氏 特別展図録寄稿文より引用

 

鎌倉時代史書吾妻鏡古代の 古事記日本書紀 文学的要素を数多く含んだ編纂物」と考えるべきでしょう。

まして「家伝」家系図

先祖を飾り既得権を正当化する為の創作!

かもしれません(^_^)

 

今年最初の記事は北条氏とは何者か?でした ^^;

 

ドラマでは伊豆の弱小豪族のところに

たまたま頼朝が転がり込んできて執権様に!

という設定ですが・・・

北条氏自身は鎌倉の主は元々自分達の先祖!

と、主張しているのです(°▽°)

関東独立を宣言した平将門を討伐した褒美として、従兄弟の平貞盛 は都に帰って貴族になりその子孫が 桓武平氏のボス惣領(ソウリョウ) になります。

平清盛が出た伊勢平氏はその分家!

本家は北条氏の祖先平直方の家系???

平良文の孫で将門の娘の息子平忠常が千葉で謀反!

平氏の親分、平直方が討伐に向かいます。

ところが3年経っても反乱はおさまらず・・・

直方は解任され、源頼信が追討使に!

その直後、忠常は出家して降伏!

子孫達は何故か許され千葉氏、上総氏の先祖に!

原因は貞盛と良文の子孫の反目のようです。

面目丸つぶれの平直方ですが・・・

意外な行動にでるのです (・_・)

源頼信の息子を娘婿に迎え、出来た孫が八幡太郎義家!

平直方は領地だった鎌倉を孫の義家に譲り、

河内源氏が東国に勢力を広げて行くのでした。

甘縄神明宮天照大神の次男、アメノホヒの子孫かもしれない由比の長者が創建し、義家や頼朝が社殿を修復したと伝わります。

平直方の足跡はどこにもありませんが (^_^;)

由比の長者は鎌足の子孫となる事で中央に復帰しますが・・・

桓武平氏の御本家、平直方の男系子孫は何処へ?

都から伊豆に赴き北条氏の婿になったか?

時政の後妻、牧の方は都育ちで平家の親戚!

北条氏というと、これまで素性の定かでない弱小豪族というイメージでしたが、実は桓武平氏の本流だった!

かも???

 

事実と創作が倒錯してる???

   弱小豪族が執権サマになる方がドラマチック!

         ではありますね^^;

 

信じるか信じないかは貴方次第 m(_ _)m