母校に「鎌倉逍遥会」というサークルがありました ^^;
平たく言えば散歩会で、実態は合同デート ( ͡° ͜ʖ ͡°)
硬派のなーまんが参加するはずありません!
友達はメンバーでしたが (^.^)
今はブログネタを求めて逍遥しています ^^;
今回は「鎌倉文学館」界隈を「逍遥」desu (^^)v
かつて鎌倉には寺の数と同じくらい小説家の家がありました。
近所を「逍遥」して 作品の構想を練っていた?
それとも???
「鎌倉文士」と呼ばれる事がステータスだった?
ここから先は有料!館内は撮影不可 (´∀`)
今回はバラまつりと企画展を観に久々の入場 (^^)
国境の短いトンネルを抜けると文学館であった。
歴史は事実、文学は創作という無邪気な区分は、比較的近代のものである。
そして世の中では、両者がそれほど真剣に分別されているわけでもない。
NHKの大河ドラマは、脚本家による物語だが、多くの人は、日本の歴史として楽しんでいる。
こういう物語に触発されて、史学科にやってくる学生も多い。
※ 日本女子大学教授 古川元也氏 特別展図録寄稿文より引用
鎌倉時代の史書「吾妻鏡」や古代の 古事記や日本書紀 も「文学的要素を数多く含んだ編纂物」と考えるべきでしょう。
まして「家伝」や「家系図」は
先祖を飾り既得権を正当化する為の創作!
かもしれません(^_^)
今年最初の記事は北条氏とは何者か?でした ^^;
ドラマでは伊豆の弱小豪族のところに
たまたま頼朝が転がり込んできて執権様に!
という設定ですが・・・
北条氏自身は鎌倉の主は元々自分達の先祖!
と、主張しているのです(°▽°)
関東独立を宣言した平将門を討伐した褒美として、従兄弟の平貞盛 は都に帰って貴族になりその子孫が 桓武平氏のボス惣領(ソウリョウ) になります。
本家は北条氏の祖先平直方の家系???
ところが3年経っても反乱はおさまらず・・・
直方は解任され、源頼信が追討使に!
その直後、忠常は出家して降伏!
子孫達は何故か許され千葉氏、上総氏の先祖に!
原因は貞盛と良文の子孫の反目のようです。
面目丸つぶれの平直方ですが・・・
意外な行動にでるのです (・_・)
平直方は領地だった鎌倉を孫の義家に譲り、
河内源氏が東国に勢力を広げて行くのでした。
甘縄神明宮は天照大神の次男、アメノホヒの子孫かもしれない由比の長者が創建し、義家や頼朝が社殿を修復したと伝わります。
平直方の足跡はどこにもありませんが (^_^;)
由比の長者は鎌足の子孫となる事で中央に復帰しますが・・・
都から伊豆に赴き北条氏の婿になったか?
時政の後妻、牧の方は都育ちで平家の親戚!
北条氏というと、これまで素性の定かでない弱小豪族というイメージでしたが、実は桓武平氏の本流だった!
かも???
事実と創作が倒錯してる???
弱小豪族が執権サマになる方がドラマチック!
ではありますね^^;
信じるか信じないかは貴方次第 m(_ _)m