なーまんのEye-Level

写真とつぶやきの貯蔵庫

三浦の先祖はどこから来たか?三崎マグロを食べながら考えた!

対馬から来たアワビの好きな海人族!

個人的にはそう考えています (^_−☆

根拠は亀卜(きぼく)と虚舟(うつろぶね)

そして「三浦」という地名!

家系図三浦党も鎌倉党も平良文の子孫ですが、三浦氏には良文の兄良兼から始まる家系図も (・_・)エッ

いずれにせよ、三浦半島に昔から居た豪族の処に、平氏の御曹司が婿入りしたという事だと思います。

鎌倉党も秩父党も、みんなそう (^_^)

神社参拝の前ですが腹ごしらえ (^_^;)

今日は車で来ましたが、こんな切符も!

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葉山女子旅切符もあります!
※ 女子旅切符は男子も利用可能!

本日のランチは本マグロ丼!

メバチマグロは遠洋で獲りますが、本マグロ(クロマグロ)相模湾沿岸で一本釣りや定置網で獲るそうです。

昼食後、歩いて海南神社へ!

三浦半島の総鎮守?食の神様??

実は海南神社主祭神ではなく・・・

境内の左脇、相州海南高家神社の祭神、磐鹿六雁命(いわかむつかり)
ヤマトタケルの父、景行天皇の東国巡行の際、料理番を務めた神様だそうです。

主祭神藤原資盈(ふじわらすけみつ)

冤罪を受け、筑紫の配所に流される航海中、暴風に遭い三浦半島に漂着!
土地の長に推戴され、房総の海賊を平定するなどして地元民から尊崇されたそうですが・・・

藤原資盈国史には記録が無く、藤原氏家系図にも無く、架空の人物ともいわれています (・_・)

海南神社海難神社で、難破船に乗って漂着した「まれびと」を祀る神社という事だと思います。

日本に亀卜(きぼく)を伝えたのは藤原氏の遠祖、中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)でしたね。

 

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亀卜の遺跡は全国でわずか6カ所 (°▽°)

そのうち3カ所が三浦半島にあります (^_−

鹿の肩甲骨で占う「太占(フトマニ) 」も盛ん!

これは中臣氏と並ぶ祭祀氏族、忌部氏の占い!

古語拾遺 」によりますと、忌部の祖神アメノフトダマは高皇産霊尊の子で、対馬の伝承によると、高皇産霊尊は虚舟(うつろぶね)に乗って対馬南端、豆酘(つつ)に流れ着いたそうです。

※ アメノウズメはフトダマの娘

中臣烏賊津使主も最初豆酘に住んでいた!

因みに亀卜は古代中国、殷王朝で誕生した占い!

高皇産霊尊山東半島辺りから漂着か?

そして、三浦湾!

鴨居瀬(かもいせ)の住吉神社の祭神は彦波瀲武鵜草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)で海幸、山幸神話の中の豊玉姫の御子!

神武天皇のお父上でしたね!

対馬では・・・

ウガヤフキアエズとイソラは同神 (・_・)エッ

忌部海部の手と手をつなぎ 南北文化の力をあつめた 血脈この地に受けて 〜♫

ここで歌われている海部神武天皇の皇子、神八井耳命(かむやいみみのみこと)の子孫、多氏です!

忌部海部は手と手をつなぎ東国へと旅立ちます!

目指すは我が常総平氏の本拠地、チバラキ

石橋山で敗走した頼朝は、三浦水軍の舟で相模湾を横断!

千葉、上総を味方につけ、いざ鎌倉へ!

※ なーまんは鎮守府将軍平良文と新皇平将門の子孫

忌部海部が開拓した東国に後からこの方が (−_−)

さんざん暴れ、千葉に渡ろうとしますが・・・

津々浦々に隠れていた三浦水軍に包囲され絶体絶命!

 

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ボクの奥さんあげるからお願い!勘弁してぇ〜

弟橘媛物部本流穂積の娘 ( ◠_◠ )

が習合して、天津神が誕生したのでは?

かくして和平が成立し、景行天皇様の東国巡行が実現するわけですが・・・

海部物部の権力闘争は蘇我物部に引き継がれ、さらに天智派天武派に引き継がれたか?