相模の国一之宮寒川神社 m(_ _)m
ここ寒川も「鎌倉殿の13人」の舞台!
背丈より高い石碑の隣には・・・
「鎌倉本体の武士 梶原景時ゆかりの地」と、染めあげたのぼり ( ̄▽ ̄)
その隣にはシンボルツリー梶の木が!
天皇陛下が二十歳の時、学習院大学の「吾妻鏡ゼミ」のご学友達と寒川神社参拝後、館跡に記念植樹された梶の木だそうです。
「吾妻鏡」に描かれた景時像は、チクリ魔!嫌われ者!ですが、都人が書いた「平家物語」や「愚管抄」の景時像は、極めて好人物!
「鎌倉本体の武士」も愚管抄のフレーズ!
鎌倉市梶原の伝承も極めて好意的でしたが・・・
寒川町一之宮の評判は?
突撃取材を敢行しました (^_^)v
景時饅頭と最中の詰合せ「もののふ」を購入!
中村獅童に「もののふ」を差し入れた時、自記筆のお礼状を頂いたそうです(^_^)v
サイン入り色紙を掲げるおかみさん!
取材協力ありがとうございました (^_−
観光協会で『梶原のスゝメ-寒川ver.』GET!
景時と息子達 (・_・)
まるで少女漫画のキャラ ( ̄▽ ̄)
https://www.samukawa-kankou.jp/?p=we-page-entrylist&spotlist=23199
こちらは景時の嫡男で、坂東随一のイケメン武者と言われた景季(かげすえ)のレリーフ (・_・)エッ
矢を入れる箙(えびら)に梅の枝を差して戦ったという謡曲「箙」の主人公!
読み書きも満足に出来なかった坂東武者の中で、梶原親子は異色の存在でした。
上総広成を誅殺し、義経や畠山重忠を陥れたのも、全て頼朝様のご意向か?
梶原景時と和田義盛を見ていると、石田三成と福島正則を思い出します。
人望篤い畠山重忠も加わり、比企も便乗!
66人連名の弾劾書が頼家に提出されますが、景時は一切弁明せず、一族郎党を引き連れ「一之宮城」に籠城!
結局鎌倉追放が決まり、景時達は京都へ向かいますが、北条時政が差し向けた静岡の武士団に襲撃され全滅!
領民達は館跡に「一之宮天満宮」を建てました。
鎌倉党の本拠地相武(さがむ)の国造、須佐之男命を祀る氷川信仰の聖地、武蔵の国造も、出雲国造の同族!
島根県松江市大庭(おおば)にある神魂神社(かもすじんじゃ)は、出雲国造の王宮跡と言われています。
鎌倉党にも大庭氏がいましたね (^_−
寒川神社の祭神も今は寒川比古神ですが、須佐之男命説、伊勢津彦説など様々!
神社の祭神は時代と共に変化し習合し、重層化するようです。
平良文の母親は妙見様の熱心な信者だったそうです。
遥か西域から伝わった妙見信仰を日本に伝えたのは、高句麗百済の支配層、扶余族と思われます。
平良文は妙見繋がりで東国の豪族達と結びつき、やがて各地に「武士団」が形成されていったと思われます。
ただ一人、景時を擁護した大江広元は晩年姓を中原から大江に改めますが、梶原一族に同族意識を感じていたのかもしれません。