ここは坂下御霊神社(鎌倉権五郎神社) m(_ _)m
境内から祭囃子が聴こえる ( ̄▽ ̄)
今回はよい取材ができるかも (^_^)v
ところが・・・いつの間に・・・
境内は神域です!撮影禁止!
ここでの撮影行為を固く禁止します!
世の中に神域でない神社はあるの ┐( ̄ヘ ̄)┌
ということで・・・
伊勢の赤福よりも歴史の古い (^_−
権五郎力餅 (賞味期限当日のみ、冷蔵不可)を購入!
江ノ電に乗って藤沢へ!
65歳の300形と、オリエント急行カラー10形のコラボ (^_^)v
藤沢で江ノ電バスに乗り換えて・・・
村岡宮前のバス停で下車!
鎌倉党発祥の地、村岡郷へ (^^♪
景政は16歳から後三年の役(1083年 - 1087年)に従軍、右目を矢で射られてもそのまま戦い、敵を一人残らず討ち果たしたそうですΣ(゚Д゚)スゲェ!!
大庭御厨として、源氏支配から独立!
1144(天養元)年、源義朝に屈服するまでは・・・
宮前御霊神社から徒歩30分、梶原御霊神社は1190年(建久元年)梶原景時の創建と伝えられ、後に景時も合祀されています。鎌倉、梶原、長尾、大庭、村岡氏の祖霊を祀るから五霊神社という説も!
鎌倉党は相模の豪族の末裔で実は平氏ではない!
という説がありますが、それは母体となった母方の家系!
景正や景時、景虎など鎌倉党の通字『景』は相模の郡司、丸子公景から受け継いだと思われます。
※ 丸子氏については只今調査中
戦で片目を失った景正は、製鉄・鍛冶の神、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)の化身か?
面掛行列は鎌倉権五郎景正の命日9月18日に行なわれます。
火吹男(ひょっとこ)は強い光を放つ炉を、長時間覗いて片目が失明した鍛冶の神の姿?
鎌倉は、古代から製鉄の町でした。
鎌倉党も母体となった母方の家系も「鉄」と関係の深い氏族と思われます。
※ 面掛行列は二年続けて中止!今年も未定。