小野小町は「世界三大美人」のひとり?
明治政府も瀬織津姫を弾圧?
ウソかホントかやっぱりウソか?
ウソかホントか分からなくなる前にウソを削り真実を記録せよ!
朕聞くに諸家の帝紀及び本辞を賷す所は、既に正実を違え、多きに虚偽加はる。
中略 偽を削り実を定め、後の世に流さむと欲す。
ヤマトタケルが火責めに遭うのは?
どちらが正実でどちらが虚偽か?
旧宿場町「小野路町」にやってきました(^_^)v
こちらは旅籠を改築した小野路宿里山交流館!
一見ソバのようですが、地元で採れた地粉(未漂白の小麦粉)で打ったうどん!
地元産の野菜のかき揚げ付きで560円!
多摩の百姓の倅だった新撰組の近藤勇や土方歳三は、名主・小島鹿之助宅へ、剣術の出稽古にたびたび訪れていたようです。
里山交流館の隣には小野神社が!
小野神社は東京都に3社、神奈川県に1社ありますが、神奈川県厚木市の小野神社の近くには「小町神社」もあり、小野小町の生誕地という伝説があります。
知らんけど ( ◠_◠ )
神社の由緒書によると、天禄年間(972年頃)に武蔵国司として赴任した小野孝泰(小野篁の7代後の子孫)が、この地に小野篁を祀ったのが始まり。
倭武命の時代とは時代の間隔があり過ぎ!
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案内板によると、この先に平安時代「小野牧」という広大な牧場 があり「小野路」はその入り口だそうです!
八王子市横山町は、小野篁の子孫と称する横山党の本拠地!
八王子から府中、多摩市一帯が旧小野郷!
こう見ると、相模原市の隣といえば隣!
多摩ニュータウン周辺にヒトが住み始めたのは3〜4万年前!
6〜7世紀に築かれた古墳には、天武天皇陵と同じ八角形墳の可能性が!
社伝によると、神武天皇の孫、安寧天皇一八年二月初末の日の御鎮座!
境内周辺からは奈良~平安時代の古瓦や馬具が見つかっています。
南北朝時代まで、武蔵一之宮は小野神社で、氷川神社は三之宮でしたが、明治時代の社格は氷川神社が最高位の官幣大社で、小野神社はただの郷社!
社格の逆転は、横山党が和田義盛に加担して幕府に討伐され、衰退したからと思われます。
神社と武士団の分布には密接な関係があり、古代にも出雲系のムサシ国やサガム国と大和系のチチブ国等の間に、抗争があった可能性もあると思われます。
多摩川の下流橘樹郡(たちばなぐん)には弟橘媛(オトタチバナヒメ)の実家、穂積氏がいた可能性もあります!
穂積氏は物部の祖神ニギハヤヒの直系の子孫!
瀬織津姫とニギハヤヒはスピリチュアル系を中心に絶大な人気ですが、どこまでホントか分かりません!
ただ、古事記の序文に記された「虛僞」とは、日本書紀に採用された「物部伝承」の事ではないか?
古事記は、物部ファンにはすこぶる不評!
しかし、この様な本も出版されています。
https://www.shinsensha.com/wp-content/uploads/23eb6abd5e9d21ff90516dbc7362d3c2.pdf
天武天皇の時代、物部連は石上朝臣、物部首は布留宿禰に改名を命じられますが、両者は元々別氏族!
布留宿禰はニギハヤヒの子孫ではなく???
皇別氏族和爾臣氏(わにのおみし)の子孫!!!
春日氏や柿本氏・・・
そして小野氏も和爾氏の子孫 (・_・)エッ
つづきはいずれ m(_ _)m