このおぞましい出来事をブログに記すべきか?
頼家さん風呂場で大事な処切られて殺されたらしいで〜
伊豆の修善寺温泉はミシュラン・グリーンガイド・ジャポンがふたつ星を付けた観光地!
紅葉の時期には大変混雑するので、一ヶ月早めにやって来ました。
修善寺門前の「饅頭総本山 源楽」
胡麻饅頭はとても美味でしたが「おひとつどうぞ」と言われて丸ごと一個試食したら、買わない訳にはいきませんね(⌒-⌒; )
修善寺は頼朝の弟範頼、嫡男頼家が軟禁され殺害された所!
修禅寺の寺宝「死相の面」と光照寺の寺宝「病相の面」は頼家にまつわる、おぞましい伝承を遺しています。
809年、空海がこの地を訪れた時、病気の父の背中を冷たい桂川の水で流している、孝行息子の姿を見て気の毒に思い、密教法具の独鈷杵(とっこしょ)で岩を砕くと温泉が湧き出て、その湯に入浴すると、たちまち父の病は平癒した!
これが独鈷の湯(とっこのゆ)の由来!
「修禅寺」も今は曹洞宗のお寺ですが、鎌倉時代の始め頃は真言宗のお寺でした!
寺社の「手水」といえば普通水ですが、修禅寺の手水は熱い温泉!
当時風呂と言えば「蒸し風呂」ですが、頼家は温泉に入っていたと考えられます。
『日本伝説叢書:伊豆の巻』によると・・・
頼家は北条氏が密かに漆を入れた温湯に入浴した為全身ひどい皮膚炎となり、二目と見れない容貌に!
頼家は北条氏が密かに漆を入れた温湯に入浴した為、全身ひどい皮膚炎となり、二目と見れない容貌に!
北条氏は頼家が「たちの悪い病気」を患ってしまいました!
と、政子に報告・・・
政子はその容貌を木に刻み鎌倉へ持参するように命じたが・・・
鎌倉に面を運ぶ途中で頼家が殺されてしまい、面は伊豆の国市の光照寺の寺宝となった???
しかしこの面、舞楽の腫面(はれめん)にそっくりでは?
修禅寺宝物館の「死相の面」の隣には元の形に復元された面がありましたが、どう見ても舞楽面!
漆風呂の伝承は後世の創作か?
やはり事実と創作が混合するのが歴史か?
劇作家の岡本綺堂(おかもときどう)は「死相の面」に触発され『修禅寺物語』を書き上げます。
面作師(おもてつくりし)夜叉王父娘は創作と思われますが、鎌倉から来た刺客金窪行親(かなくぼ ゆきちか)は歴史上の人物!
金窪行親は劇中鎧姿で登場しています!
オペラの本場パリでも上演されたそうです。
原作はこちらで読めます↓
これは岡本綺堂に触発されたなーまんの創作ですが・・・
夜叉王父娘は京から送り込まれた工作員で、女好きの頼家は女スパイかつらのトラップにかかり、今は亡き長男一幡の母「若狭局」の名を与えて、勝手に愛妾にしてしまう・・・
それを知った北条義時直属の「秘密警察」のボス、金窪行親が頼家諸共かつらを暗殺!
以上はなーまんの妄想ですが「愚管抄」の記実が事実なら天台宗の僧侶「慈円」と真言宗の寺「修禅寺」の間に、秘密の連絡網があった可能性はあると思います。
源範頼について「吾妻鏡」は謀反の疑いで修善寺に送られたとしか書いてありませんが、日枝神社の社伝には梶原景時の手勢が押し寄せ、範頼を誅殺した!と、記されているようです。
梶原景時が頼朝から重用され、御家人から忌み嫌われたのは、景時が「秘密警察」の役割を担っていたからか?
和田の乱で和田義盛が滅び、北条義時が侍所別当(長官)を兼務する事になると、金窪行親は侍所の次官に出世!
金窪行親は北条義時の下で、諜報活動や暗殺に携わっていたのでは?