iPhone14に替えたので、試し撮り(^^)v
この日は西高東低の気圧配置。強烈な西風が吹き荒れ・・・
雲は吹き飛び何やら風雲波乱の気配。
手持ちスローシャッター(^^)v
801年前の鎌倉も、火災や天災が頻発する、重苦しい空気が満ち満ちていました。
そんある夜、政子の夢に天照大神が現れ・・・・
「泰時が私を輝かせ、泰平の世になるだろう」
あくまで「吾妻鏡」の記述ですが (^.^)
政子は皇大神宮の神主の孫、波多野朝定を伊勢に派遣。
願文を神祇次官に提出。無事受理されましたm(_ _)m
事件はその二ヶ月後に・・・
北条義時を討伐せよ!
刃向かう奴は皆殺し〜♪
そんな院宣が出され・・・
京都守護で義時の義兄伊賀光季が血祭りに!
知らせが届いた僅か三日後、泰時は僅か18騎で鎌倉を出発!
出張ロケは予算の都合でカット?
湘南ですm(^^)m
初戦で朝廷軍が敗走すると、後鳥羽上皇は甲冑を身につけ比叡山に登り、支援を求めますが・・・
延暦寺は支援を拒絶 (・_・)エッ
元天台座主だった慈円僧正も、既に上皇の元を去っていました・・・
結局後鳥羽上皇は隠岐に島流しになりますが、北条は皇室を廃絶しませんでした。
何故か?
権力には賞味期限が、権威には熟成期間が必要なのか?
独裁者が統治するC国には、易姓革命が不可欠なのか?
泰時は叔父の時房や三浦義村、母親の生まれが自分より良い弟達に囲まれ「独裁者」になりたくてもなれませんでした。
本人の性格もあるでしょうが(^_^)
権威回復の為、朝廷は裁判などの行政サービスを開始。
泰時はその様子を横目で見ながら、古代の律令に代わる、誰でも理解できる公平な法律「御成敗式目」を制定。
政子の夢は正夢だった?
※ 後醍醐天皇の側近、北畠親房も「神皇正統記」の中で、後白河天皇が兄崇徳上皇を流罪にしてから世は乱れてしまった!泰平の世に戻したのは北条泰時!
その様に述べています。
五代目執権時頼はライバル三浦氏を滅ぼし、八代目執権時宗の時、その権勢は頂点を極めますが・・・
日本は「神風」に助けられて勝ったのではなく・・・
2回とも圧勝だった?
昔の教科書は八幡愚童訓(はちまんぐどうくん)という宗教本を鵜呑みにしていただけ!
最新の学説はこのようになっています^^
文永の役で敗北したにも関わらず、元は降伏勧告の使者を送ってきますが、時宗にそんなハッタリは通用せず、その使者を斬首!
独裁者時宗は「闇堕ち」したのか?
悪口雑言を口にした罪で捕縛した日蓮を、幕府は流罪にせず、密かに殺そうとしますが・・・
江ノ島から光の玉が飛んできて刀がポキリ!
幕府に楯突いたスゴイ坊さんがいるらしい!
そんな噂が鎌倉中に広まり・・・
「片瀬踊念仏興行」は4ヶ月のロングラン~♪
※ 「踊り屋」の建設費用は一体誰が?
高麗の忠烈王はクビライの娘を娶り、胡服弁髪の令を発布!
もし時宗が元に降伏していたら?
権力に賞味期限があることは確か!
ではなぜ日本に易姓革命は起こらなかったのか?
ヒントは、古代の「ヒメヒコ制」にあるのでは?