今回は「諏訪大社四社参り」の旅 ^_^
全て巡って記念品をGET (^_^)v
※御朱印を頂かないと記念品はもらえません(^_^;
それはあくまでオマケ ( ̄▽ ̄)
真の目的は諏訪信仰の謎を解き明かす事!
ですが・・・謎は益々深まりました(−_−)
上社と下社は結構離れています。
諏訪信仰発祥の地は上社!
今回は上社前宮と本宮、下社は次回。
御柱祭も上社と下社で違いがあります。
これは上社の御柱祭m(_ _)m
御祭神、建御名方神(たけみなかたのかみ)は大国主の御子ですが、国譲りの時は母の故郷、新潟県糸魚川市を治めていたと考えています。
尾張氏の先祖天香山命(アマノカグヤマノミコト)は越の国制圧の為、新潟の弥彦に陣取ります。
孤立無援の建御名方神は姫川を遡り、当時巨大な湖だった安曇野を越え、縄文時代から翡翠と黒曜石の交易で交流のあった諏訪に向かい、先住の洩矢(モレヤ)の神と戦い勝利!
建御名方神は上社本宮に鎮座m(_ _)m
その子孫諏訪氏は現人神となり洩矢の神の子孫、守矢氏が神長官として実際の祭祀を取り仕切ります。
守矢家の敷地内にある「神長官守矢史料館」
その展示物は・・・
動物愛護団体の方は目をつぶって御覧下さいm(_ _)m
白ウサギの串刺しΣ( ̄ロ ̄lll)
おびただしい数の鹿の頭 (・_・)
上社前宮で毎年行われる御頭祭の生け贄です!
縄文人の末裔、狩猟民の祭りか?
ところが・・・
イスラエルの大使が日本に赴任すると、最初に訪れるのが諏訪だそうです。
なぜか?
よろしければこちらをご覧下さいm(_ _)m
神はそこでアブラハムに一人息子イサクを生け贄として捧げるよう命じるのでした。
江戸時代の御頭祭は八歳位の少年を「御贄柱」に縛り付け、神官が殺そうとする瞬間別の神官が止めに入り、代わりに75頭の鹿を神に捧げるという儀式でした!
御頭祭を取り仕切るのは神長官守矢(もりや)氏。
祭祀が行われる上社前宮の十間廊は、ユダヤの移動式祭祀場「幕屋」と寸法や使用法がソックリだとか!
守矢家の家伝によると、蘇我氏に滅ぼされた物部守屋の次男武麿が諏訪に逃げ込み、守矢家の養子となり、やがて祭祀を引き継いだそうです。
守屋の息子武麿が、上社の背後にそびえる守屋山に物部守屋神社を建て「御頭祭」を創始したと考えられます。
素朴な縄文の祀りにしては生け贄の数がおびただしすぎ「権力の誇示」という印象が拭えません(−_−)
守屋山を諏訪大社の御神体と主張する人がいますがそうした歴史はなく、御神体はあくまで現人神の大祝(おおほうり)様!
諏訪明神=モレヤ神=ミシャグジ神というのが公式見解ですが、諏訪の人々が本当に信心しているのは建御名方神でも物部守屋でもなく?
「ミシャグジさま」ではないかと思います^_^