「すわ鎌倉」は「いざ鎌倉」と同じ意味 ^_^
ここ諏訪にも御家人達が集結する、すわ諏訪!
と言うべきイベントがありました ( ̄▽ ̄)
諏訪大社の「現人神」は中世に武士化 (・_・)エッ
一時、諏訪氏は武田信玄に滅ぼされますが、江戸時代は高島城主3万石のお殿様となり明治をむかえます。
高島城の屋根は瓦でなく、板を薄く削った「こけら葺き」でしたが、維持管理にお金がかかるので銅葺きで復元(^-^;
近くでみると鉄筋コンクリート造と一目で分かるので、遠景で観るのがポイント( ◠_◠ )
上社の諏訪氏に対し、下社には金刺氏という別の大祝(おおほうり)がいました。
金刺氏は神武天皇と事代主の姫の子孫、多氏の一族!?
※実際は6世紀頃伊那地方から来た半島系渡来人?
諏訪大社が上社と下社に別れているのは、夫婦喧嘩で奥さんが出て行ってしまったから!
建御名方神の妻神八坂刀売神(やさかとめのかみ)は安曇族の出身とされています。
下社に秋宮と春宮があり安曇野の穂高神社同様にお舟祭りがあるのは、先祖が海洋民で農耕民だからでしょうか?
秋宮に入るといきなり出雲風大しめ縄が!
上社にはありませんでしたが・・・
二重楼門造りの拝殿はどこか女性的ですが、下社には多氏の先祖で建御名方神のお兄ちゃん事代主も祀られています( ̄▽ ̄)
上社への対抗心見え見え (^。^)
事代主は大国主の長男とされていますが、大きな宝船に乗ってやって来た「えびす様」ではないかと考えています。
対馬では大型の船をワニというそうです (・_・)
諏訪といえば御柱祭?
昔は御射山祭神事という大イベントもありました!!
http://www.sasagou.com/kisoyoshinaka/pg20.html
鎌倉幕府の御家人達が集い、巻狩、草鹿射ち、相撲などの武芸大会が行なわれ、一般庶民も観覧自由!
会場は崖を削ってコロシアム風に!
夜は狩りの獲物をサカナにどんちゃん騒ぎ!
まさに酒池肉林〜♫
執権様!死んでも付いて行きます\^_^/
私達の先祖は稲作漁労民の食文化を受け入れ、仏教の戒律で肉食が禁止されましたが、諏訪明神の祭祀に限り猟りが認められていました。
諏訪明神を祀れば肉が堂々と食える!
こうして諏訪明神は全国に広まりました(^_^)v
歴史の授業で、武士の起源は武装した農民と習いましたが本当か?
「七人の侍」では農民が武士を雇い自らも武器を取り、野武士を退治しますが?
大和朝廷を苦しめた蝦夷の正体は、縄文人とツングース系渡来人のハーフでは?
ここ諏訪地方でも、蕨手刀や積石塚などの蝦夷の文化が散見出来ます。
古事記に記された建御名方神は「武神軍神」とはほど遠い神様ですが、後世の武士達は本当の建御名方神を知っていたようです^_^
このど迫力!
まるで御射山祭に集まった武士の様!
因みに、記念品はマスクでした (^_^;)