なーまんのEye-Level は毎週日曜日更新!
ですが・・・
泊まりがけで紅葉狩りに行くので (^_^;)
今回は1日早く更新します m(_ _)m
ここは丹沢大山国定公園の麓、秦野戸川公園。
紅葉と雪のコラボレーション v(^_^o)
今回は7年前の写真で更新です m(_ _)m
ところ変わって大山 (おおやま)
江戸時代は「六根清浄」と唱えながらわらじ履きで山頂を目指しましたが、今は下社までケーブルカーで登れます (^_^)
廃仏毀釈が行われるまで、山全体が石尊権現(せきそんごんげん)という神仏習合の聖地でしたが、今は大山寺と大山阿夫利神社に分かれています(^^;;
大山寺は後ほど、夜景で m(_ _)m
山頂の磐座からは縄文式土器が (・_・)エッ
麓の比々多神社には1万年以上前の祭祀場が!
大山は太古の昔から相模の神奈備だった様です。
大山阿夫利神社下社到着 ^ ^
山頂の本社までは、山道をさらに二時間!
何度か登った事があるので今回はパス (^_^;)
927年に編纂された延喜式神名帳2861社の中に「阿夫利神社」の名がありますが、神名帳なのに祭神は記されていません!
山そのものが御神体だから?
現在下社のある場所には、奈良の東大寺を開いた良弁僧正が、天平勝宝七年(七五五)に開山したと伝わる大山寺がありました。
鳥居の向こうに広がる伊勢原は、伊勢を追われた伊勢津彦の子孫と伝わる漆部(ぬりべ)一族の本拠地。
大山の西側は渡来人の郷、秦野盆地です。
画面左端が「由比の長者」の屋敷があった鎌倉。
「由比の長者」相模の国司太郎太夫時忠は 藤原鎌足の子孫 とされますが、母方は漆部一族!
当時、子供は母方で育てられるのが普通でした。
良弁は太郎太夫時忠の子でしたが、赤ん坊の時に 金色の大鷲 にさらわれ、奈良の僧侶「覚明上人」に育てられます。
『大山縁起絵巻』によると良弁は鎌倉の生まれで『東大寺縁起絵巻』では秦野の生まれ。
良弁の両親は息子の行方を探し数十年も旅を続け・・・
親子で相模の国へ戻り、大山寺を建立^^
めでたしめでたし・・・で、実際はどうなの?
など
こちら論文によると 相模国漆部氏説 が妥当?
個人的には 父方が漆部氏 で、母方が近江の百済系渡来人 多賀(タカ)一族 だと考えています。
多賀(多可)氏は 金属技術者集団 で、大仏に塗金した金は宮城県産!
宮城がなぜ宮城 というかというと、陸奥国を治める国府「多賀城」があったから!
タカの大きい種類がワシで、良弁は母親の実家多賀(タカ)一族に育てられた?
神話や伝承は事実と願望と暗喩の産物だと考えています(^_^)
良弁が大山寺に来たかどうかは不明?
ケーブルカーで無事下山!
明治5年創業の大津屋できゃらぶきを買って帰ります。
大津屋さんが近江出身かどうかは知りません (^_^;)
明日の今頃は鯉のあらいやぼたん鍋を肴に酩酊しているかもしれません (^^;;
コメントやスターのお返しは、明後日以降とさせて頂きますm(_ _)m