
こちらは鹿嶋神宮奥宮ですが、7年前に撮った写真です。
秋の長雨の影響で予定していた取材は全て中止 (>_<)
なーまんは取材するブロガー を自認していますが・・・
カメラとスマホのローンが残っているもので (^_^;)

奥宮は1605年に徳川家康が奉納した元本殿。
今の本殿は1619年息子秀忠が造営したものです。
日光東照宮と同じ絢爛豪華な権現造りですが・・・

拝殿はいたって質素な白木造り(・_・)
奥の楼門は水戸黄門の父上が奉納したものです。
奈良・平安から鎌倉時代頃までは、伊勢神宮同様20年ごとに式年遷宮が行われていた様です。

春日大社の社伝「古社記」によると、鹿島神宮の神様が白い鹿に乗って奈良まで来られたそうで、神鹿を殺すと江戸時代は死罪になったそうです (//∇//)

拝殿から奥宮に向かう途中鹿園がありますが、放し飼いにしているわけではありません。
因みに常陸国風土記には、葦原の鹿は山の鹿より美味いと書いてあります(^_^;)
そして、香島が鹿島に表記が変わるのは西暦723年頃から!

1日に40万リットル以上の湧水が出る御手洗池。
武甕槌の甕とは水瓶の事か?
太平洋を航海するには、大量の飲み水が必要です!
龍頭で飾られた御座船等、約100隻の大船団が対岸の香取神宮の迎船と対面。
香取神宮の神職が鹿島神宮の御祭神へ祝詞を奏上する極めて珍しい神事です。
香取神宮でも同様のお祭りがあります!
鹿島の龍頭船(りゅうとうせん)に対し香取は鷁首船(げきしゅせん)
龍蛇トーテムと鳥トーテムの揃い踏み?

西へ28Km、ここは稲敷市阿波 (あば) の大杉神社。
「あんば参れば日光見るに及ばず」
何でこんなに豪華なのかというと、将軍様のブレーン天海大僧正が江戸城の鬼門守護社に定めたから!

常陸国風土記にはここ安婆之島に陣取り、香島郡を平定した初代那珂国造建借間命の物語があります!
※ 建借間命が登場するのは国栖の伝説の段
cultural-experience.blogspot.com
佐賀県にも鹿島市がありますが、建借間命の故郷も鹿島市の近くの様です。
※ カシマの語源は船を繋ぎ止める杭(カシ)が林立する島か?

建借間命は神武天皇の御子神八井耳命の子孫オオ氏ですが、阿蘇国造火国造も皆オオ氏!
熊本と茨城の装飾古墳には似た図柄があるそうです!

隣の潮来市には鹿嶋神宮の元社大生神社と大生古墳群がありますが・・・
香島が鹿島に表記が変わる西暦723年以降は、鹿島神宮の祭祀権を中臣氏に譲り地方官や武士、鹿島分社の神職として血筋を繋いでいった様です。

大杉神社の主祭神は三輪の大物主ですが・・・
古事記によると大物主神の曽孫が武甕槌命。
国譲りの神は古事記では建御雷神、日本書紀では武甕槌神。
そういえば、太安万侶もオオ氏でしたね (^.^)v

九州の建借間命を消して大和の武甕槌神と入れ替え、神聖な白い鹿に乗せて常陸から奈良に里帰りさせる・・・
これは、藤原氏が奈良の都に君臨する為に紡ぎだされた物語・・・
ナラティブではないでしょうか?
では、何故鹿のナラティブが必要だったのか?
奈良だからナラティブ・・・・・・(^^;;
この続きは次のネタ切れの時にしとうございます m(^.^)m












































































































































