群馬県榛名山には、古代史ファンに人気の高い物部氏の祖神、饒速日命(にぎはやひのみこと)が祀られていましたが・・・
現在、榛名神社の祭神は、イザナミを殺した炎の神「カグツチ」と、産道を焼かれ断末魔の中脱糞した、イザナミのウン●から生成した「ハニヤマヒメ」です(・_・)エッ
よりによってニギハヤヒ様を・・・
ウン●の神に変えたのは・・・
どこのどいつだ\(*`∧´*)/
明治政府です (^_^)v
ハニヤマヒメは土師器や埴輪の原料、粘土の神。
物部氏といえば鉄剣と土師器!
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonkokogaku1994/12/20/12_20_47/_pdf/-char/ja
どちらも強い火力を必要としますが、物部氏の東国の拠点群馬に、さらに高度な技術を持った氏族が現れるのでした。
西暦4世紀末、倭軍は「三韓征伐」に遠征!
快進撃を続け平壌辺りまで攻め込みますが・・・
高句麗には最新兵器があったのです!
ペルシャ発祥の重騎兵!
倭軍の主力は長弓で武装した歩兵でしたが自慢の弓矢を弾き返され、人馬一体の鉄の怪物の、頭上からの攻撃に底知れぬ恐怖を感じたでしょうΣ( ̄ロ ̄lll)
負けた相手に謙虚に学ぶのが我が民族の長所!
たぶん (^_^;)
現地で鉄と馬のスペシャリストをスカウト!
それが韓矢田部氏、後の車持氏で藤原不比等の母方の実家!
こちらは古代の群馬の勢力図ですが、高崎市周辺は群馬郡と書いて「くるまのごおり」と呼ばれていました!
物部氏の後裔石上氏や、甘楽郡(カンラグン)の渡来人以外は上毛氏の一族と言われますが、実際は皆渡来系と思われます。
優良な牧場を探し求め長野の伊那、碓氷峠を越えて群馬に入植したと思われます。
鉄と馬のスペシャリストを引き連れて・・・
溶鉱炉と馬を沢山持っているから「クル馬持ち」(^_^;)
群馬の豪族多胡羊太夫は車持氏の一族か?
中臣氏は祭祀と皇族の養育を職掌としていたらしく、中大兄皇子の養育係だった可能性があります!
https://www.i-repository.net/contents/outemon/ir/201/201971108.pdf
藤原-中臣氏の出自と実態
中大兄にクーデターを起す様、進言したのは鎌足か?
天智天皇の寵愛を受けていた車持与志古を妻とし、鎌足は鉄や須恵器の高熱処理技術などを持つ、渡来人集団を傘下におさめたのでは?
須恵器や養蚕などの最新技術を導入!
土着の毛人や渡来人を傘下におさめ、地域を大いに発展させたそうです。
羊太夫は妙見信仰を持つ鉱山技術者か?
妙見信仰は砂漠の民が方角を知るため、北極星を神として崇めた信仰が中国に伝わり、道教の星信仰と習合したもの!
和銅が発見された秩父は妙見信仰、榛名山や妙義山は修験道の聖地!
修験道は徐福伝説と関連があり、山伏の修行は鉱山開発を伴っていたと考えられます。
こちらは上野国一之宮貫前(ぬきさき)神社。
富岡はかつて甘楽郡(伽羅郡)綾女庄といい、養蚕機織の女神を祀っていましたが北方から物部氏改め石上部磯部氏が侵入!
近所に経津主を祀る「抜鉾神社」を建ててしまいます!
今日からここボクの土地だから!文句が有るなら石上の親分に言ってね〜♫
わかった!
藤原の親分に言いつけてやる (*`∧´)/
藤原不比等が右大臣の頃石上麻呂は左大臣でしたが、平城京に遷都する時旧都に置き去りにされ、石上神宮も神宮名をとり上げられてしまいます(−_−)
代わって神宮になったのが鹿島神宮と香取神宮!
榛名神社のニギハヤヒを、ウン●の神に変えたのは明治政府ですが、その根拠となった記紀神話を創作したのは藤原不比等か?
それについては次回m(_ _)m