今回は「多胡碑」に刻まれた謎の豪族、多胡羊太夫のお話!
多胡碑には当時左大臣だった石上麻呂、右大臣だった藤原不比等の名も !
西暦711年、群馬県多胡郡300戸と藤原の姓を賜った「羊」こと藤原宗勝とは何者なのか?
藤原不比等本人説、蘇我氏に滅ぼされた物部氏の子孫説、秦氏に連なる渡来人?
はたまた中央アジア系渡来人や景教徒説、ユダヤ人説など様々^-^;
「胡」とは古代中国における北方、西方民族に対する蔑称で、元の意味は「あごひげ」の長い人!
美術史家、歴史家で東北大学名誉教授の田中英道氏によると「長い髭・長いもみあげ・帽子」を被った埴輪の姿は、ユダヤ教徒の格好とほぼ一致するそうです!
知らんけど ^^;
こちらは前方後円墳の県別総数のグラフ!
何と!千葉がダントツのトップ (^_^)v
芝山古墳群を含め、千葉は6世紀以降の古墳が多数!
6世紀後半物部守屋が滅び、畿内で前方後円墳は急速に廃れてゆきますが、これは前方後円墳が物部氏の墓制で、物部氏が東国に逃れた結果ではないかと思います。
多氏や毛氏など東国の豪族達は、物部の残党を積極的に受け入れたのでしょう。
藤原不比等の三男藤原宇合(ふじわらのうまかい)が常陸国主の頃編纂された「常陸国風土記」によると、崇神天皇の御世に白妙の大御服を着て、白桙の御杖を持た神が「我を祀るなら汝が治めるべき国を任せよう」という神託を下した。
天皇が族長を集めて神託の意味を問うと、大中臣の神聞勝命(カムキキカツ)が「大八嶋国は貴方が統治する国だというのがこの国を平定し、香島に鎮座する天津大御神の教えです」と答えたので、天皇は恐れ驚いて幣帛を神宮に奉納したという。
これが香島神宮の由来だそうです。
※ 鹿島は8世紀中頃まで香島
常陸国風土記茨城略記によると、当時常陸に居た八束脛(ヤツカハギ)という原住民を、大(多)臣の一族、黒坂命が彼らの住むほら穴に茨棘(うばら)を施しておき、騎兵で急襲!
ほら穴に逃げ込んだ八束脛達は、仕掛けられた茨棘に掛かって動けなくなり、死んでしまった!
これが茨城の名の由来!
大和の葛城の地名も葛の網で土蜘蛛を捕え、殺したのが由来!
na-mannoeyelevel.hatenablog.com
伊豆諸島での所業といい鴨族って結構残忍!
土蜘蛛、八束脛達は背が低いわりに手足が長い人々!
大(多)臣の一族は背が高いわりに手足が短い人々!
そして、ユダヤ人のような埴輪の人々!
きっと君等関西人!間違いなく関西人!!
さいでんなぁ〜♪ そぉでんなぁ〜♫
本家本元が居並ぶ紅白で、替え歌メドレーを歌う嘉門達夫!
山下達郎は出場していませんが、替え歌は1分10秒過ぎ!
藤原摂関家の先祖は藤原不比等と蘇我娼子ですが、中臣の遠祖「中臣烏賊津使主」通称「雷大臣」は生涯対馬で暮したようです。
そのまた先祖はどこから来たのか?
後編に続く!