6月30日午前8時の片瀬江ノ島駅 (^_−☆
突然ですがレッカー移動された車を、警察に引き取りに行った時の昔話をします。
察「職業は?」な「自由業です」察「無職ですか?」な「違います!お客様からだけシャチョ〜と呼ばれています!」
年中無休、完全フレックスタイム制のなーまんが、早朝から江の島に来たのは、アジサイの隠れた名所だからではありません!
茅の輪くぐりをする為!
軽く会釈して左足から茅の輪を跨ぎ反時計回り
また会釈して右足から茅の輪を跨ぎ、時計回り
また会釈して左足から茅の輪を跨ぎ反時計回り
江島神社は今でこそ神社ですが・・・
江戸時代は金亀山与願寺というお寺でした!
弁財天信仰は1182年から!ところが・・・
明治政府の命令で、島の仏教施設は全て破壊!
お坊さんは神主さんに強制的に転職 (・_・)
弁財天は、かろうじて破壊を免れます^_^
僧院だった岩本院は僧侶が全員神職になった為、宿泊施設岩本楼に (^_^;)
弁財天は今、泰安殿(弁天堂)に祀られていますが、完全に抹消されたのが牛頭天王!
牛頭天王信仰は、スサノオと合体し、「蘇民将来伝説」「茅の輪」を取り込み、海神「龍王」や蛇神を取り込み、『法華経』の「八王子」を取り込み、陰陽道の「八将神」を取り込み、本地の薬仏薬師如来をはるかに超える「御利益」のある神様になっていました。
江の島の対岸、腰越の小動(こゆるぎ)にはかつて八王子宮が鎮座、牛頭天王ファミリーが祀られていましたが、今はスサノオを主祭神とする小動神社に!
牛頭天王は記紀神話が曖昧にした、スサノオの出自を暗示している?
以下は興味の有る方だけ御覧下さい m(_ _)m
「魏志扶余伝」には以下の様に記されています。
白布大袍袴 履革踏 (白布の大きな上着や袴で、革靴をはく)
日本開基、奕葉重光、本枝百世。
有扶餘之遺俗。(日本と渤海は扶余の血を引く兄弟国!仲良くしましょう〜♫)
渤海使節はその後、37回も日本に来訪!
かつて「津島牛頭天王社」とよばれた津島神社の社伝によると、嵯峨天皇が「スサノオは皇国の本主」と仰ったそうです。
※ 津島神社のHPには載っていません
古代朝鮮の『三国史記』によると、高句麗の始祖「朱蒙」には、長男の「沸流(フル)」と次男の「温祚(オンソ)」がいた。
兄の沸流は海側に国を建てたが、繁栄しないことを恥じて自ら命を絶った・・・
宗像三女神は、誕生した時代が違うようです。
イチキシマヒメ(縄文海人が信仰した最古の女神)
タギリビメ(出雲と関係が深い女神)
タギツヒメ(大和と関係が深い女神)セオリツ?
イチキシマヒメはコノハナサクヤヒメとも習合しており、黒潮に乗ってやって来たアタ族の女神だとすれば納得 (^_^)v
江の島信仰発祥の地は岩屋洞窟で、龍窟が竜宮城への入り口だとすれば、これまた納得 ( ̄▽ ̄)
江島の弁天様には夫神の龍神がいますが、五頭龍と同神だとすると、現在ワタツミ族の玉依姫と同居中!
不倫して別居中か (^_^;)
※神社の由緒には祭祀氏族間の争いや権力者の政治的意図が反映している場合が多く、鎮座当時の姿を正しく伝えているとはかぎりません。