『鎌倉殿の13人』の長い前置きも今晩まで!
実は、これからが本番!しかし・・・
北条のオヤジ、良い人に描かれ過ぎでは?
曽我兄弟の仇討も頼朝落馬事件も黒幕は北条!
か・も・しれません (・_・)エッ
作者もそれとなく、におわせている?
ということで、本日は小田原市曽我から!
生梅を購入して、梅干作りにチャレンジ!
ウメ〜梅干ができたら、記事にするかも (^。^)
北条時政も早雲も、元は伊豆から来た侵略者!
きれいごとだけで「まつりごと」はできません。
謀略や裏切り、そして骨肉の争い!
曽我兄弟の仇討ちも、身内同士の土地争いと殺し合い!
美談の陰に謀略あり?一体誰が得したか?
古代、蘇我氏は各地に領地領民を持っていましたが、関東では小田原市の「曽我」と千葉市の「蘇我」が有名!
中世になると、領主達は桓武平氏良文流を称するようになります。
1028年、曽我の民は大和の宗我都比古神社の神官だった宗我保慶を招き”宗我都比古神社”を創設。
※曽我物語には長髄彦の兄、安日彦が登場します。長髄彦の正体は孝元天皇の皇子、意富彦で妹ミマキヒメがトミヤ姫か?
宗我保慶の子孫は曾我の領主となりますが・・・
宗我神社は1158年に平家の攻撃により焼失?
1165年、曾我祐信(曾我兄弟の義父)が再建?
「祐」の字は藤原氏の分家工藤一族の「通字」
要するに・・・
藤原氏の子孫工藤氏が、蘇我氏の子孫宗我氏の土地を奪った?
小田原の中村党が良文流平氏というのは仮冒(なりすまし)か?
※曽我兄弟遺跡保存会「曽我兄弟物語」をもとにして考察
曽我兄弟の仇(かたき)の名前は工藤祐経(すけつね)
兄弟の祖父で祐経の従兄弟、伊東祐親(すけちか)に領地を横領されたのを恨み、兄弟の父、河津祐泰(すけやす)を殺害!
※伊東や河津はいわゆる「名字」で、みな工藤一族!
兄弟の母が曾我祐信(すけのぶ)と再婚!
長男は曽我祐成(すけなり)次男は時致(ときむね)と名乗ります。
時致(ときむね)の名付け親は北条時政で、政子や義時、三浦義村は曽我兄弟の従兄弟!
早い話が・・・
工藤一族の内紛!ですが (^_^;)
源頼朝は祖父伊東祐親の仇で、仇敵工藤祐経は頼朝の寵臣!
自分達が訴えても勝訴する見込みは皆無!
いっそまとめて殺してしまえ!
こちらの先生は時政黒幕説に否定的ですが・・・
時政と頼朝の共謀説ならいかが?
北条と比企はともに源氏の外戚 (−_−)
頼朝の弟範頼の妻は比企尼の孫娘で、頼朝に不満を抱く御家人達が頼朝殺害と範頼擁立を目論んでいたら?
兄弟が工藤祐経を狙っている事は周知の事実!
巻狩りの幹事、時政が仇討ちの手助けしてる?
鎌倉殿はすでに死んでいる!
後継者は範頼殿!息子達は比企の子〜♪
反頼朝派をあぶり出し一掃 (*`∧´)/
曽我兄弟には本懐を遂げさせ(;ω;)
兄十郎の愛人虎御前等に「曽我物語」を語り継がせたら?
すべては筋書きとおり( ◠_◠ )
北条政子「もーそーゆーのナシにしません?」
北条泰時「これからは法律と話し合いですよね〜♪」
今まで謀略し放題だったくせに・・・
北条、恐るべし (−_−;) ←三浦義村