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湘南です28 ういろうとインゲン豆で謎を解く?

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昔「湘南市構想」という合併話がありましたが

市民の反対多数で立ち消えに (^。^)

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ここは幻の湘南市の西のヘリ、二宮町吾妻公園!

東隣は「湘南大磯発祥説」を唱える大磯町!

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伊藤博文吉田茂等が愛した大磯ですが、何を根拠に?

総理大臣が勝手に決めたわけではありません(^-^;

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心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立沢の 秋の夕暮

西行法師の歌に因み建てられた俳諧道場「鴫立庵」

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「著盡 湘南 清絶地(ああ湘南て素敵なところ)」

1664年、庵主崇雪(そうせつ)がたてた碑が根拠!

西行は有名ですが・・・

崇雪とは一体何者?

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OH! オダワラジョウ〜!ではなく・・・

創業五百年!小田原随一の老舗「ういろう」

俳人崇雪はこの家の次男坊 (^_^)

 

先祖は中国の高級官僚だった陳延祐。

官職名「礼部員外郎」に因み外郎(ういろう)と名乗ります。

子孫は博多から京都そして北条早雲にスカウトされ小田原に移住しました。

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歌舞伎十八番外郎売り」の主人公が売っているのは家伝薬の「透頂香」

お菓子の「ういろう」は明国使節団を接待する為二代目が考案したそうです。

中国人の子孫だから中国の景勝地「湘南」を知っていたのか?

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小田原の紹太寺は小田原城主だった稲葉氏の菩提寺ですが、元領主様の菩提寺にしては随分とこじんまり?

実はここ、かつての塔頭(本寺の中の小寺)清雲院。

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寺の奥にながーい石段!

実は山全体が黄檗宗紹太寺跡(^_^)v

寺は幕末に全焼してしまったのです(−_−)

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初代稲葉正勝徳川家光の乳母、春日局の息子。

二代目政則は早く母を亡くし、祖母に養育されます。

愛するおばーちゃんの為に建てた寺が紹太寺m(_ _)m

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初代住職に選ばれたのは日本にインゲン豆を伝えた中国僧隠元の孫弟子の鉄牛道機!

鉄牛は中国人の師木庵を紹太寺(しょうたいじ)に招待します^_^ 

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木庵は相模湾の景色を中国の景勝地『湘南』にたとえ、鉄牛は相模川を「湘川」と呼び、あちこちで『湘南』をPRするのでした(^_^)v

明治時代の知識人も相模川を「湘川」と呼んでいたそうです。

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昭和の中頃、石原裕次郎加山雄三の登場で湘南の中心は逗子葉山などの「東湘」に移りますが、それ以前は「西湘」が中心地でした。

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鎌倉説大磯説、どちらも禅僧が関わっているわけですが「湘川」を隔て時代を隔て、西と東に湘南という呼称が生まれた?

そう考えたいと思います( ̄▽ ̄)