「鎌倉殿の13人」で活躍した三浦一族は対馬から来たアワビの好きな海人族?
以前そんな記事を書きましたが、益々確信が!
根拠は海蝕洞窟遺跡と竜宮伝説!
na-mannoeyelevel.hatenablog.com
これは伊勢二見ケ浦で食べたアワビの踊り焼 (^.^)v
ですが・・・
実は南房の黒アワビも奈良時代からブランド品!
神奈川県は弥生時代が始まるのが本州で一番遅く、BC1世紀頃まで縄文時代が続きます。
アワビはありません!
http:// https://www.pref.kanagawa.jp/documents/8040/888303.pdf
ところが弥生時代の海蝕洞窟遺跡からは、夥しい数のアワビの貝殻が!
アワビは海女(士)が素潜りして獲りますが、縄文人にはそうした習慣が無かった様です。
さらに洞窟からは「骨占い」の遺物が!
動物の骨を焼いて吉凶を占うのが卜骨(ぼっこつ)
亀の甲羅を焼いて吉凶を占うのが卜甲(ぼっこう)
魏志倭人伝には漢人が令亀の法(卜甲)で占う様に倭人は卜骨で占うとあります!
卜甲は殷王朝発祥ですが次第に廃れ、朝鮮半島から遺物は見つかっていません!
しかも中国以外で卜甲が出土しているのは、印内台遺跡群(下総)・鉞切遺跡・間口洞穴・浜諸磯遺跡(以上、相模)・串山ミルメ浦遺跡(壱岐)・志多留遺跡(対馬)の 6遺跡のみ!
古代、三浦半島は御占半島だった?
何故?
伊勢の夫婦岩のしめ縄の先からは遠く富士山を望み・・・
夏至の日には山頂から旭が昇ります!
ひたちの海から!
日本書紀によると西暦644年、不尽河(富士川)のほとりに住む大生部多(おおふべのおお)という豪族がアゲハチョウの幼虫を「常世神」として祀る新興宗教を始め、皆が熱狂したので太秦(秦河勝)が誅伐した!
とあります。
翌年645年大化の改新により中大兄皇子と中臣鎌足が政権を掌握!
それ以降、秦河勝も消息不明になるのは何故か?
東海地方から横浜にかけて、各地に浦島伝説が伝わっています!
実はここ、壬申の乱の時大海人皇子に味方した多品治(おおのほんじ)の拠点!
※ 多品治は太安万侶の父親 オオ氏には様々な漢字が当てられています。
横浜市神奈川区にも浦島伝説がありますが、三浦半島の住人が京丹後と神奈川を行ったり来たりする話!
『丹後国風土記』にも浦島伝説があり、アズミ族の分家筋「おおしあま」の本拠地もあります!
三浦一族の重鎮和田義盛の正室は巴御前ではなく、豊受大神宮(外宮)の禰宜度会氏の娘!
日本に卜甲(亀卜)を伝えたのは中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)で、奈良時代以降宮中で亀卜を司る卜部は伊豆5人、壱岐5人、対馬10人と決まっていました。
中臣氏の先祖は卜部(占い師)だった!?
常陸国は元々「那珂国」といい初代国造はオオ一族の建借馬命(たけかしまのみこと)
鹿嶋神宮から車で15分の距離に、大生古墳群と鹿嶋神宮の元の宮大生神社があります。
鹿島神宮の御祭神は武甕槌大神で藤原氏の氏神とされていますが・・・
古事記には大国主に国譲りを迫る建御雷之男神と、大物主の子孫意富多多泥古(オオタタネコ)の父親建甕槌命が登場します!
古事記原文
僕者大物主大神娶陶津耳命之女活玉依毘賣生子名櫛御方命之子飯肩巢見命之子建甕槌命之子僕意富多多泥古
右大臣藤原不比等の厳しい検閲の中・・・
太安万侶はこう言いたかったのでは?
建甕槌命は僕の御先祖様!
海の彼方から来た神は僕の御先祖様!
※ 甕(みか)とは真水を入れて船に積む甕(かめ)