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三浦党物語2 四面楚歌?三浦一族絶対絶命!

ここは横須賀くりはま花の国ポピー園

ポピーは日本語でひなげし

 

スペイン語でアマポーラ

 

フランス語でコクリコ・・・

 

虞美人草ともいうそうです ^^

 

由来は古代中国の武将項羽愛妻の名前。

 

虞姫項羽の後を追って自害しますが、その墓のそばに咲いていたのが虞美人草

 

虞美人が中国南部の出身だとすると・・・

 

イメージとしては、この方?

 

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単にギャップが面白いのでアップ ^^

 

おだまり!

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ひなげしシリーズの〆がこれか (*`∧´)/

 

いいえ私はさそり座の女~♪

 

さて、久里浜といえば今から170年前、黒船に乗ってアメリカからやって来たペリー提督が上陸した場所!

 

黒船の奥に見える小山がくりはま花の国!

 

その右側がペリーが上陸した海岸ですが・・・

 

今から800年前は深い入江でした!

 

平安時代は怒田城のずっと先まで海!

 

三浦一族の本拠地衣笠城は山頂に築かれた山城で・・・

 

三方海に囲まれら三浦半島はまさに天然の城砦!

 

住吉神社は明治41年、近隣の琴平社や神明社などと合祀されるまで「栗濱大明神」と呼ばれていました!

 

社伝によると1180年衣笠城落城の前夜、三浦義澄が一族郎党を引き連れ栗濱大明神に祈願した後、源頼朝と共に房州に渡ったとありますが・・・

 

石橋山で大敗した頼朝は箱根の山中を4日間も逃げ回り、土肥実平真鶴岬から舟で相模湾を横断!

 

安房に到着した頼朝を、北条親子と三浦義澄が出迎えています ^^;

 

石橋山合戦に間に合わなかった三浦党は衣笠城に引き返す途中、鎌倉の由比ヶ浜畠山重忠軍と遭遇!

 

na-mannoeyelevel.hatenablog.com

 

「武士の鑑」畠山重忠も当時はまだ17歳のヒヨッコ!

 

初陣はあえなく惨敗 (>_<)  ですが・・・

 

畠山重忠は同じ秩父平氏河越重頼江戸重長の加勢を受け、数千騎の大軍勢で衣笠城を急襲 (//∇//) 

 

武士団と暴力団が徒党を組むのはこういう時の為 (^^;;

 

対する三浦軍はわずか450騎程度 (>_<)

 

89歳の総帥三浦義明は落城前に一族を城から逃し、壮絶な最後を遂げた!

 

吾妻鏡にはそう書いてあります・・・

 

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東京湾フェリー680人乗りですが、450騎に妻子を加えたら、かなりの大船団だった?

 

おかげで仲良しの北条親子とも海上で逢えた様です ^^

 

頼朝の安否も分からぬまま房総に逃げた三浦一族。

 

頼みの綱は義明の娘婿、金田頼次の兄上総広常か?

 


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最近の学説では、石橋山合戦前から頼朝と広常は通じていた様ですが・・・

 

数年後、頼朝に殺されるわけで・・・

 

利用されたのは広常の方でしたね (-; )