神社や古代史に興味を持ったきっかけは・・・
数年前に行った「お伊勢参り」の不思議な出来事!
近鉄特急ビスタ号で松坂牛のお弁当を食べ( ̄▽ ̄)
伊勢へ到着後、外宮を参拝m(_ _)m
知る人ぞ知る老舗旅館に宿泊し・・・
翌朝暗いうちに宿を出てタクシーで内宮へ!
早朝参拝に向かいますm(_ _)m
有名な宇治橋の前で夜明けを待ち( ̄▽ ̄)
おもむろにカメラを構えシャッターを押しますが・・・
突然、カメラが故障 Σ( ̄ロ ̄lll)
祟りじゃぁ〜
ウチのお○○んはそう申しますが・・・
なーまんには違うお声が聞こえてきました( ◠_◠ )
新しいカメラを持って出直して来るが良い!
ただし!
また物見気分で来たらタダでは済まさんぞ!
へへぇ〜〜
心の中でかしこまりながら・・・
スマホで猫サマを撮るメゲナイなーまん(^。^)
江戸時代「お伊勢参り」は庶民の間でも人気でしたが、奈良平安の頃、伊勢大神はしばしば宮中に禍いを及ぼす恐ろしい祟り神だった様です。
明治天皇が参拝されるまで、持統天皇以降、伊勢神宮を参拝された天皇はいらっしゃりません。
なにごとの おはしますをば しらねども
かたじけなさに なみだこぼるる
西行法師は伊勢滞在中、伊勢神宮の神官とも交流があった筈ですが???
思えば伊勢と三輪の神 一体分身の御事 今さら何を岩倉や〜
横浜の伊勢山皇大神宮の本殿の隣には、大神神社磐座(おおみわじんじゃいわくら) が祀られています。
拝殿の帳(とばり)は神意を現すとされますが、古神道では山や磐座が神の依り代、神籬(ひもろぎ)とされていました。
崇神天皇の時代大物主が激しく祟りますが、当時は古神道から社殿に鏡や剣を祀る「神社神道」への移行期。
結局大物主の子孫オオタタネコが探し出され、鏡と剣は宮中を出て銅鐸祭祀が盛んだった地域を巡回!
最終的に伊勢に祀られますが、
伊勢神宮のご神体は鏡とされますが、伊勢神宮の正殿、床下中央部分には心御柱(しんのみはしら)という柱が建てられ、神が依り憑く神籬 (ひもろぎ)とされています。
鏡と剣は元々道教の神器(・_・)エッ
もしかしたら、渡来人かもしれません( ◠_◠ )
大物主は大国主と同一視されますが本当は、天孫族に国譲りを迫られ、天の逆手(呪いの裏柏手)を打って自害した事代主では?
天照大神を女神に変えたのは持統天皇?
藤原不比等は高天原の最高指令神、高御産巣日神(タカミムスビ ノカミ)となって天孫に降臨を命じるのでした( ̄ヘ ̄)
他の貴公子達の名前は当時の高官達の名をもじっていると言われています。
実は古事記の編者太安万侶も日本書紀編纂のメンバー!
「神々の改ざん」は公然の秘密だった?