相も変わらずコロナコロナ┐( ̄ヘ ̄)┌
祭りの中止が相次ぐこの御時勢 (−_−)
今回も昔の写真をリメイクしてお届けします^_^
道寸祭りのメインは笠懸(かさがけ)
武士の中の武士、三浦一族のお家芸です (^_−
流鏑馬は射笠を冠って行いますが、
その笠を的にしたのが笠懸の名の由来。
笠懸は射笠の代わりに烏帽子を使用!
どちらも猟装束で行うのが武家の流儀!
京都の葵祭は束帯姿ですね ^_^
頑丈な大鎧を着た敵武者の急所、顔面を狙う射法!
流鏑馬は弓手横で3個の的を狙いますが笠懸は復路でさらに2個!
鹿や猪をしとめる技、弓手筋違(ゆんですがい)
馬手筋違(めてすがい)が加わります ( ̄▽ ̄)
上の写真は弓手筋違!
馬手筋違は海側に入れないのでパス (^_^;)
古弓馬術には流鏑馬、笠懸の他に犬追物(いぬおうもの)がありますが、鏑矢で本物の犬を射る競技なので動物愛護上実施は不可能。
弓手筋違、馬手筋違は笠懸でしか観る事ができません。
三浦氏の当主義明は頼朝と一族を舟で逃がし・・・
自らは楯となって防戦!討ち死にします!
房総半島に渡った頼朝は三浦氏と同じ坂東平氏、千葉氏上総氏、武蔵の秩父氏畠山氏などを味方につけ、鎌倉幕府を開きます。
崖を観て、ビビって尻込み (^。^)
その時、こんな崖三浦半島じゃ当たり前〜♫
と、一気に駆け下りたのが三浦一族の佐原義連!
三浦氏は執権北条氏に滅ばされますが、その後佐原氏が再興!
三浦道寸の時代に三年間籠城した末、北条早雲に滅ぼされます。
ここ油壺は三浦一族終焉の地m(_ _)m
三浦氏は桓武天皇の子孫で、奥州合戦の功により三浦の領地を与えられたと伝わりますが、古代以来の姓と名を類別した「姓名録抄」に出雲臣族の末裔「御浦氏」があり系図を改ざんしたか、平氏の御曹司が婿入りした事が考えられます。
実は伊勢津彦または鎌倉分の子孫とする説があり、製鉄技術で発展した武士団のようです。
出雲臣族伊勢津彦の子孫といえば「由比の長者」漆部氏!
由比の長者は藤原鎌足の子孫と称し、大勢の秦人や高句麗遺民を従え莫大な富を築き、一族の良弁は東大寺開山に、漆部伊波は藤原仲麻呂の乱平定の功により、相模宿禰に任じられています!
その軍事力の源泉は御浦一族などの古代氏族と高句麗遺民では?
平将門や平清盛の素性は明らかですが、鎌倉幕府を開いた坂東八平氏の素性は怪しい者が多いです???
そして執権北条氏も素性が怪しい???
武士の起源には諸説ありますが、複数の起源が融合して武士が誕生したと考えています。
先日、武士=侍とお考えの方からダメだしされましたが、私は武士=魚類、侍=タイやヒラメと考えています(^_^)v
元々「さぶらい」は貴人の側に仕える下級官人全般を示す言葉でしたし、武士=侍ではないと考えます。
確かに牢人なのに「七人の侍」は変ですが、言葉の意味は語源ではなく多数決で決まるもの!
「SAMURAI」は世界的に認知されており「タイトル変えろ!」と抗議して、まともに相手にされる事はないでしょう ( ◠_◠ )