ここは鎌倉の「天神様」荏柄天神社 ^_^
「吾妻鏡」によると菅原道真の300回忌がここで、幕府重臣大江広元の主催で盛大に執り行われたそうです。
これは過去の筆供養の様子ですが、イメージ画像という事でm(_ _)m
菅原も大江も、先祖は天照大神の次男アメノホヒの子孫で、一応「天孫族」のメンバーですが・・・
道真は出世した為に藤原氏に睨まれ、陥れられてしまいました (−_−)
大江広元も京都の下級貴族でしたが「朝廷」に見切りをつけ「幕府」の文官になったのでした。
こちらは長州藩が1823年に建てた、大江広元とその四男で毛利家の祖、毛利季光の墓!
武家政治の始めと終りに関わった一族 !
1221年後鳥羽上皇が挙兵すると、義時等御家人は皆オロオロして腰が引けてしまいますが、広元だけが強行に主戦論を主張!
結果はご存知の通り ( ◠_◠ )
その自信と執念はどこから来たのか?
神話の世界では勝ち組が天孫族、負け組が出雲族と決まっていますが、天孫族にも負け組がいます!
それが「出雲臣族」です!なにそれ?
便宜上出雲族を分類すると・・・
出雲神族=海神族=龍蛇信仰、青銅器祭祀
出雲臣族=天神族=製鉄、四隅突出墳丘墓
スサノオは事実上天孫族の父祖で、大国主はその娘婿!
天孫族は父系制のようですね (・_・)
出雲と言えば「国譲り神話」ですが、出雲臣族の伝承では、アメノホヒの息子アメノヒナトリがフツヌシを従え、オオクニヌシを説得した事になっています。
日本書紀 フツヌシ タケミカズチ
古事記 タケミカズチ アメノトリフネ
出雲国造賀詞 アメノヒナトリ フツヌシ
はたしてどれが本当なのか?
西暦1世紀頃、出雲では大量の銅剣や銅鐸が地中に埋められ、四隅突出墳丘墓という独特の墓が出現します!
海神族から天神族への国譲りか?
伊勢遺跡は邪馬台国?それとも狗奴国?
銅鐸巨大化!鉄器も大和盆地より豊富!
出雲族と海部(ホアカリ)族の連合か?
どんどん脇道にそれるのでまとめます(^_^;)
結局九州の火山噴火と瀬戸内大地震から逃れてきた、九州瀬戸内連合が河内から大和に侵入!
その主力は九州のニギハヤヒ族と吉備のフツヌシ族!
ホアカリ族は鉄資源目当てに、ニギハヤヒ族と提携!
出雲臣族は親戚のフツヌシ族との関係も悪化して孤立!
御神宝も取り上げられてしまうのでした・・・
負け組となった出雲族は東を目指し・・・
敗者復活の時を願いながら・・・
大江広元の墓の手前の墓は、頼朝の御落胤説もある、島津忠久の墓!
毛利も島津も、関ヶ原の負け組でしたね ( ̄▽ ̄)
次に復活する敗者は?
日本であってほしいですネ(^_^)