ちょっぴり以外ですが・・・
頼朝時代は、京都を手本にしましたが・・・
北条時代の鎌倉の手本は南宋や奈良!
一番人気の紅葉の名所は、お向かいの長谷寺!
話は変わりますが・・・
奈良県の「ご当地鍋」は牛乳入りの飛鳥鍋!
7世紀以降「肉食禁止令」が度々出され、貴族達は次第に肉を食べなくなりますが、しばらく牛乳や乳製品の「蘇」を摂取していた様です。
因みに神奈川県のご当地鍋は牛鍋とシシ鍋!
牛鍋が普及するのは文明開化以降ですが、シシ鍋は実朝も和田っちの家で呼ばれてましたね (^.^)
※ シシケバブのシシは金串という意味!
山幸彦は肉食系男子だったと思いますが、京都の貴族達は肉食を穢れとして忌み嫌い農民達まで草食系に「品種改良」しようとしましたが・・・
https://www.mealtime.jp/shokublog/naohashi/2019/04/post-257.html
殺生を生業とし肉を喰らう武士は卑き下郎!
神聖な拝賀式に穢れたお前達は参列させん!
中門の外で控えておれ (*`Д´)/
「愚管抄」によれば、北条義時ら武士達は雪の降り積もる回廊の中で待機させられ、松明を持った源仲章に先導され、実朝と公卿達は石段を登り上宮へ!
当時の鶴岡八幡宮には石段の下にも回廊が!
拝賀式の警護責任者は北条義時ですが・・・
中門から先に武士は入れませんでした(・_・)
そして、寺僧として飼い殺しにされていた平家の子弟達が、刃を手にして待ち構えていたのでした・・・
※ 実朝達が殺されたのは愚管抄では石段の下、百錬抄では社殿の中。
実は公暁には竹御所という妹がいました!
政子が上洛した目的は、孫娘の婿探しと思われます。
竹御所は29歳の時13歳の第4代将軍藤原頼経に嫁いでいます。
竹御所と後鳥羽の御子が結婚したら、公暁は?
当時曽我兄弟の仇討ちは美談として語り継がれていました!
親の仇を討ち、北条の悪事を暴けば?
そして三浦義村の脳内は・・・
実朝暗殺事件の前年9月13日、八幡宮の宿直警備をしていた武士が、少年達に暴行されるという事件が起きます。
駒若丸は即刻謹慎処分!
義村が拝賀式を欠席したのもその為か?
問題はそれを契機に八幡宮の宿直警備が廃止され、拝賀式当日、上宮まで上がれたのが高位の文官だけになった事。
実朝暗殺事件の後、四人の僧侶が追放処分になっていますが、その内三人は北条氏の推薦で寺僧になった、平家の子弟!
彼らにとっては実朝も公暁も、仇に違いはありませんね (^^;;
北条泰時が「御成敗式目」に「仇討ち禁止」を明記したのは、実朝暗殺事件に遭遇したからかもしれません。
命懸けで治安を守ってきたのは俺達武士!
北条義時はそれを知らしめたかったのか?
やはり承久の乱は不可避だったか・・・