埼玉県行田市埼玉にやって来ました^ ^
埼玉県にあるから、さきたま古墳公園?
違います!
元々は前玉と書いて「さきたま」(^.^)
ここが県名発祥の地 d(^_^o)
上のお菓子はこちらのお店で購入しました↓
ここの目玉は稲荷山古墳から出土した「金錯銘鉄剣」
辛亥年(西暦471年)の年号と、倭王武ことワカタケル大王(雄略天皇)の名前が刻まれています!
雄略天皇は考古学的に実在がほぼ確定している最初の大王!
丸墓山古墳は6世紀初頭に造られた日本最大級の円墳!
「のぼうの城」で石田三成が忍城を水攻めする時、陣地を張ったのがこの場所!
この辺りは見渡す限り平地なもので (^^;;
武藏国造笠原直使主與同族小杵、相爭国造(使主・小杵、皆名也)、經年難決也。小杵、性阻有逆、心高無順、密就求授於上毛野君小熊而謀殺使主。使主、覺之走出、詣京言狀。朝庭臨斷、以使主爲国造而誅小杵。 以下省略
笠原直使主(カサハラノアタイオミ)と同族の小杵(オキ)が国造の座を争い、小杵が上毛野君小熊(カミツケノキミオクマ)の援軍を得て、使主は都に逃走!
朝廷は小杵を誅殺して使主を国造に任命!した?
※ 隣町熊谷市に小杵のものと思われる円墳があるので嘘かも?
さきたま古墳群が忽然と出現したのは、上毛野氏を牽制する為、朝廷の息のかかった豪族を配置したから?
雄略天皇の時代、大王家は鎌倉殿も真っ青になって逃げ出す様な、血で血を洗う殺し合いをしていました!
それは応神天皇の血を引く母と、葛城氏出身の母を持つ皇子達の、仁義なき殺し合い!
雄略天皇は応神系の母を持つ皇子で、同母兄を暗殺された報復として、葛城円大臣や葛城系の皇子を皆殺しにして、大王になります!
不思議なのは、葛城氏が単なる外戚とは思えないくらいの地位にあった事!
雄略天皇が葛城山で狩をしていると、自分と姿形がそっくりな「一事主神」と遭遇!
日本書紀では仲良く狩をして「一事主神」の方がへりくだった物言いをしますが・・・
古事記では天皇の方が恐れ畏み、従者達の服を脱がせて、大刀や弓矢とともに恭しく献上!
何故?
古事記研究の第一人者が、分かりやすく解説しています。
元は稗田阿礼という小役人が暗誦していた非公認の伝承?
正史は勝者の歴史で稗史は敗者の歴史?
もしかすると・・・
権力は大王家の方が上でも、権威は葛城氏の方が上だった?
まるで幕府と朝廷のように???
崇神天皇の御代、大物主大神が激しく祟りますが、子孫のオオタタネコに祀らせると祟りはピタリと収まります。
オオタタネコは日本書紀では大田々根子命で、古事記では意富多々泥古命!
太安万侶の太氏は意富氏とも多氏とも記されます。
意富多々泥古はワシの身内じゃ〜!
安万侶は心の中で、そう叫んでいたのでは?
次回はもう一つの目玉「将軍山古墳」と、去年国立歴史民俗博物館で開催された「伽耶展」の写真などをアップしながら謎の「任那」に迫りますd(^_^o)
マニアックな記事で申し訳ありませんm(_ _)m