藤原鎌足が鎌を埋めたから鎌倉で・・・
由比の長者は鎌足の子孫!
と、いう話をして来ましたが・・・
今日は由比の長者のお屋敷を訪ねますm(_ _)m
昔は夫が妻の家に泊まりに行く「通い婚」が普通で、子供は妻の実家で育てられました。鎌足が由比の里に泊まった時に出来た子供の子孫が由比の長者?
ここは由比ケ浜海水浴場^_^
今年は海の家が営業停止!
自前のテント持参で海水浴を楽しむ人も( ̄▽ ̄)
取材の前に腹ごしらえ!
海の見えるカウンター席で〜♫
日替わり海鮮丼八種盛りを頂きますm(^_^)m
国境の長いトンネルを抜けると雪国ではなく・・・
鎌倉文学館であった(^_^;)
加賀百万石のお殿様前田侯爵の元別邸で、川端康成、与謝野晶子、芥川龍之介等の直筆原稿や愛用品などを収蔵!
でも内部撮影禁止!なので撤収!
「雪国」の作者でノーベル賞作家の川端康成邸
親族が相続して現在非公開ですがm(_ _)m
で、由比の長者のお屋敷は?
文学館入り口交差点の右側、ゴミ置場の脇に立つ
『染屋太郎大夫時忠邸阯碑』(S14/3・鎌倉町青年団)
藤原鎌足の玄孫で南都東大寺僧正、良弁の父。697〜728年にかけて鎌倉に居住し、関東八カ国の総追捕使で由比の長者と称する。
と、あります。
ところが、万葉集を元に古代の地名を研究した遊行寺の僧由阿の『詞林采葉抄』には鎌足の孫「漆屋太郎大夫時忠」とあり「染」は「漆」の略字「柒」(しつ)」の写し間違えで、由阿の記述が正しいのではないかと思われます。
秦野市と伊勢原市の間にそびえる大山の中腹に、良弁が創建した大山寺があります。
『大山縁起』には良弁は鎌倉郡由比郷の漆部(ぬりべ)氏の人也とあります。
ところが・・・
『東大寺縁起絵巻』には相模国大住郡漆窪(大山の麓)の出身とあります。
そして続日本紀によると良弁と同世代の漆部 伊波(ぬりべのいわ)という人物が東大寺に莫大な寄進をし、藤原仲麻呂の乱を鎮めた功績により相模宿禰の姓を賜り相模国造に任命されたそうです。
父の名前は漆部足人。
由比の長者や良弁の本姓は「漆部」のようです。
甘縄神明神社は略誌によると710年「染谷時忠」の創建
配祀神
倉稲魂命(稲荷)
伊邪那岐命(白山)
武甕槌命(春日)
菅原道真(天神)
稲荷、白山といえば秦氏の神!
不比等が春日山に武甕槌命を祀ったのも同じ710年!
鹿島の多氏との関係も非常に深いと感じます!
調査はまだまだ続きそうです(^_^)
取材を無事終え・・・
「由比の長者団子」を食べるなーまんであった^_^