なーまんのEye-Level

写真とつぶやきの貯蔵庫

富士箱根伊豆1 箱根権現と九頭竜大神

f:id:na-mansan:20201011135011j:plain

国立公園の名前をそのままパクった新企画!
美しい自然がウリの筈なのに・・・
なぜ鳥居からスタート?

f:id:na-mansan:20201011135122j:plain

小田原は晴れていたのに・・・
箱根の山は雲だらけ (・_・)
肉眼では、うっすら富士山見えますが・・・
空気遠近法で青く霞んでる (−_−)

f:id:na-mansan:20201011135225j:plain

目前に広がる芦ノ湖!右手奥が駒ヶ岳
その左に富士山が見える筈でした (^-^;
紅葉の季節に再チャレンジ!?

f:id:na-mansan:20201011135337j:plain

鳥居の奥、深い森の中には箱根神社 ^_^
駒ヶ岳山頂には元社があり、絶景ですが・・・
ロープウェーは往復1,600円 (^_^;)
天気悪いともったいない!ということで ・・・

f:id:na-mansan:20201011135438j:plain

行き交う船を暫し御覧下さい m(^_^;)m
箱根神社、箱根元宮、九頭龍神社(本宮)
今回は「箱根三社」の一社だけm(_ _)m

f:id:na-mansan:20201011135547j:plain

箱根権現と熱海の伊豆山権現

合わせて二所権現(にしょのごんげん)と呼びます。

源頼朝以来鎌倉幕府の将軍は、正月に二所権現を参拝するのが習わしでした。
権現とは仏が神の姿で現れるという意味です。

f:id:na-mansan:20201011135726j:plain

二所権現は大磯の高麗大権現を分霊したもの!
駒ヶ岳高麗ヶ岳で、国境の島対馬にも伊豆山があり、その山腹に鎮座する「海神神社」は明治まで「八幡本宮」と呼ばれていました!

f:id:na-mansan:20201011140041j:plain

明治政府は何を隠したかったのか?

徳川家康東照大権現だった事もあり、神仏習合の権現様はことごとく、記紀に登場する由緒正しい神様に置換えられました。

家康は家康のままでしたが( ̄▽ ̄)

f:id:na-mansan:20201011140156j:plain

東照大権現も合わせ祀られていた高麗大権現は歴史から消され、高麗神社になりますが、やがてさらに高来神社に改名させられるのでした。

明治政府は何を隠したかったのか?

f:id:na-mansan:20201011140305j:plain

箱根神社の現在の祭神は
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)!
火折尊(ほおりのみこと ) 山幸彦

f:id:na-mansan:20201011140548j:plain妹カワイイけど姉ちゃんブスだからいらん!
一晩で妊娠?!本当に俺の子かぁ〜????

ニニギ様、素敵な神様ですね〜♡

f:id:na-mansan:20201011140748j:plain

それに比べ、このはなのさくやひめは気高く凛々しい!

別名、神阿多都比売 (かむあたつひめ)
阿多隼人族の出身のようです。
因みに、熱海の別名は「阿多見」

f:id:na-mansan:20201011140906j:plain

九頭龍神社(本宮)は毎月13日に船で参拝出来ますが、普段は九頭龍の森を30分位歩いて行く事になります (^-^;

どうせなら紅葉の頃、行こうよう〜♫

f:id:na-mansan:20201011141058j:plain

神社もソーシャルディスタンスの時代ですが・・・

富士箱根伊豆は東京やさいたま市と同じ位の距離!

東京方面に行くよりストレス少ないかも (^_^;)

湘南です37 日向薬師の彼岸花と高麗王若光

f:id:na-mansan:20201004163718j:plain

子供の頃、近くに田んぼがありませんでした!
豊富にあったのが松林!
砂地なもので(^-^;

f:id:na-mansan:20201004163850j:plain

山もありませんでした!
昔歌舞伎役者の別荘だった団十郎山という、
こぶりな古墳みたいな所があるのみ!

f:id:na-mansan:20201004164005j:plain

田んぼや里山は、懐かしいより珍しい!
そんな感じです( ̄▽ ̄)

f:id:na-mansan:20201004164158j:plain

ここは神奈川県伊勢原市日向
平塚、秦野、伊勢原は昔大住郡と呼ばれていました
相模川の東岸、故郷茅ヶ崎や海老名の辺りは高座郡

f:id:na-mansan:20201004164323j:plain

東京の新座市新羅人居留地だった様に、
高座郡には高句麗居留地があった様です。

最初の弥生人は東海地方から来た様ですが^_^

f:id:na-mansan:20201004164431j:plain

大住郡の日向というと南九州を連想します^_^
京都の大住村は隼人の移住地!
大隅郡と大住郡、関係はあるのか?

f:id:na-mansan:20201004164559j:plain

平安末期の記録によると、大隅八幡宮の神官は漆島氏!
伊勢原は由比の長者「漆部氏」の本拠地です!
因みに漆島氏は辛島氏の分家筋!

f:id:na-mansan:20201004164753j:plain

日向薬師は714年行基の開山とされますが、
日向はヒュウガではなくヒナタと読みます^_^
薬師如来を本尊とする真言宗のお寺m(_ _)m

f:id:na-mansan:20201004164913j:plain

空海像や虚空蔵菩薩が祀られているところ、秦氏の気配を感じますが、伝承に漆島漆部もでてきません!
やはり漆部氏の聖地は大山か?

f:id:na-mansan:20201004165103j:plain

これはあくまで伝説ですが薬師像を造る良材がなく、困っている行基に数尺の香木を与えた人物がいました。
高句麗からの亡命者、高麗王若光です^_^

f:id:na-mansan:20201004165217j:plain

日向薬師の参道脇に立つ日向神社(白鬚神社)

高麗王若光を祀る神社です。

f:id:na-mansan:20201004165336j:plain

歴史に残る若光の足跡は以下のとおり

666年 高句麗使節団の一員に玄武若光の名前
668年 高句麗が唐新羅連合軍に攻められ滅亡
703年 朝廷より従五位下、高麗王の姓を賜る
716年 武蔵国に高麗郷を設置1799人の高句麗人と移住

f:id:na-mansan:20201004165500j:plain

高麗郷は現在の埼玉県日高市
上の写真は高麗神社祭神、高麗王若光を開祖とする高麗家の60代目当主で高麗神社宮司の高麗文康氏。

f:id:na-mansan:20201004165624j:plain

高麗王若光の相模での足跡は伝承にとどまりますが、高麗川が巾着の様に蛇行する巾着田は関東随一の彼岸花(曼珠沙華)の名所となっています。

f:id:na-mansan:20201004165721j:plain

現在のKOREAは南北とも付き合い辛い国ですが、相互理解は必要!
あまり下手に出ない方が良さそうな気もしますが・・・

という事で、高座郡や高麗郷の由来は分かりましたが
大住郡がなぜ大住郡なのかは分かりませんでした(^_^;)

湘南です36 ぼんぼりまつりと武内宿禰(平塚八幡宮)

f:id:na-mansan:20200927145533j:plain

先月鎌倉のぼんぼり祭りをご紹介しましたが
今回は平塚八幡宮のぼんぼりまつりm(_ _)m

f:id:na-mansan:20200927145657j:plain

「オタク今日から八幡神社ね!」
明治6年新政府が「平塚八幡宮」という社名を没収!

f:id:na-mansan:20200927145825j:plain

昭和58年「平塚八幡宮」に戻った記念に始まったのがぼんぼりまつり!

f:id:na-mansan:20200927145938j:plain

歴史はわずか40年ちょっと!
「平塚七夕祭り」の様に盛大でもなく

f:id:na-mansan:20200927150037j:plain

鶴岡八幡宮の様に各界の著名人の出典もなく
有名画伯の作品なのかもわかりませんが・・・

f:id:na-mansan:20200927150141j:plain

蛭子能収先生の代わりに
地元のちびっ子達が参加しています( ̄▽ ̄)

f:id:na-mansan:20200927150228j:plain

戦国時代、武田信玄に社殿を焼かれ、
徳川家康が自ら何度も参拝して復興!
江戸時代門前は大いに栄えますが・・・

f:id:na-mansan:20200927150343j:plain

明治政府にとって武家政権は「賊」も同然!

宇佐八幡宮石清水八幡宮官幣大社なのに

鶴岡八幡宮や平塚八幡宮はただの「県社」

平塚八幡宮八幡神社に降格処分(・_・)

鶴岡八幡宮はその後国幣中社に昇格

f:id:na-mansan:20200927150519j:plain

御由緒によると平塚八幡宮は西暦380年の創祀!
古すぎる由緒も明治政府は気に食わなかった?

平塚八幡宮は「相模國一國一社の八幡宮
北条政子もここで安産祈願をしているのに!

f:id:na-mansan:20200927150623j:plain

相模の総社大磯の六所神社の由緒によると
崇神天皇の時代に出雲族がこの地に移住!

平塚八幡宮も六所のひとつで元々は出雲系!
今も境内に諏訪社を祀っていますが・・・

f:id:na-mansan:20200927150735j:plain

現在の御祭神は
応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
武内宿禰(たけのうちのすくね)

f:id:na-mansan:20200927150821j:plain

三韓征伐で有名な方々!
幼い応神天皇をダッコしているのが武内宿禰 (^_^)
後ろから二人を覗き込んでいるのが神功皇后 (^。^)

f:id:na-mansan:20200927150951j:plain

家系図をみると子孫も凄いメンバー!

長男は波多八代宿禰!秦野は元々波多庄!
秦氏の先祖、弓月君を迎えに行ったのが葛城襲津彦
三年後、半島に応援に出かけたのが平群木菟宿禰

武内宿禰とは何者なのか?

f:id:na-mansan:20200927151110j:plain

歌川広重東海道五十三次平塚宿
中央に見える高麗山の山頂には、かつて高麗大権現社が祀られていました。
三韓征伐の後、武内宿禰が奏上して高句麗の神を祀ったのだそうです。

f:id:na-mansan:20200927151228j:plain

533年高麗山の麓に神功皇后応神天皇が祀られます。
それが現在の高来(たかく)神社。

山頂の高麗大権現社は明治政府に歴史ごと消されました。

因みに江戸時代まで、福岡の高良大社の祭神は武内宿禰

f:id:na-mansan:20200927151349j:plain

平塚八幡宮八幡宮になったのはいつか?

寛治元年(1087年)平塚八幡宮の御分霊が岐阜県高山市の櫻ヶ岡八幡神社に祀られたそうなので、それ以前である事は間違い無いでしょう。

日本書紀によると、東国視察を終えた武内宿禰は「東の夷に日高見国(ひだかみのくに)有り。土地は肥沃で広大!侵略すべき!!」と、上奏しています!

相模の国はその前線基地だったようです(−_−)

湘南です35 弁天様の胎内くぐり(平塚 妙圓寺)

f:id:na-mansan:20200920144507j:plain

「洞窟、弁天、銭洗い」

江ノ島、長谷、そして今回は知る人ぞ知る・・・

通称「土屋銭洗い弁天 」という・・・

f:id:na-mansan:20200920144849j:plain

神奈川県平塚市にある、天台宗「妙圓寺」

村民水嶋五郎右衛門が母、月盛妙圓禅尼の為に建てた、
江戸時代の神仏習合を今に伝えるお寺です。

f:id:na-mansan:20200920145027j:plain

上に見えるのが辯天堂「寳珠殿」の拝殿
中央が宇賀神を本尊として祀る岩屋霊穴の入口

f:id:na-mansan:20200920145132j:plain

「寳珠殿」は村内の宮大工、横山七郎左衛門が釘を一切使用しない「一本くさび工法」により建立したもの。

f:id:na-mansan:20200920145245j:plain

俳優の船越英一郎氏が寄進しているようです^_^
ガラス戸はあけて自由に拝観できますが、
錦のとばりでお顔しか見えないので・・・

f:id:na-mansan:20200920145503j:plain

お寺の奥様にお願いしてHPの画像を拝借m(_ _)m

頭上に人頭白蛇の「宇賀神」をいただき、大黒天と毘沙門天を従え、十五童子が回りを取り囲む、八臂宇賀辯才天

華やかでふくよかな母性あふれる辯天様m(_ _)m

f:id:na-mansan:20200920145642j:plain

つづいて弁天堂の真下に掘られた岩屋霊穴で、辯天様の「胎内くぐり」を体感します(^_^)v

f:id:na-mansan:20200920145814j:plain

岩屋本尊、人頭蛇身の宇賀神m(_ _)m

宇賀神は男の辯天とも太陽の化身とも言われる神様!

大日如来とともに霊穴に祀られていますm(_ _)m

f:id:na-mansan:20200920145941j:plain

ここは延暦寺の不滅の法燈を分燈安置した密教道場

年に一度、宇賀神にお神酒を注ぐ秘法「浴酒供」が一週間行われるそうです。

f:id:na-mansan:20200920150152j:plain

霊窟は何世代にもわたり手掘りされました。
辯天池から湧き出る清水は、絶える事無く銭洗い池へ流れ込んで行きます。

f:id:na-mansan:20200920150412j:plain

「胎内くぐり」とは霊場の狭くて暗い洞窟の中で、
現世から別の世界に生まれ変わる擬死再生の行為。

出口は産道のように狭くなっています(^_^;)

長谷の弁天窟は少しかがんで通れましたが・・・

f:id:na-mansan:20200920150552j:plain

こちらは高さ90センチ・・・
身長180センチ、腹ポッコリのなーまんは、
手や膝をついて通らなければなりません(^_^;)

f:id:na-mansan:20200920150731j:plain

結局「再生」は諦め・・・
入り口から外に出て外から出口を一枚m(^-^)m

f:id:na-mansan:20200920150854j:plain

銭洗いは鉄洗い!
鎌倉の弁財天はそうでしたが・・・
土屋銭洗い弁天は?

f:id:na-mansan:20200920151004j:plain

妙圓寺のすぐ北側には金目川が流れ下流両岸に北金目、南金目という地名。
上流には秦野下流大磯には高麗山や唐ヶ原という地名があり、鍛冶集団など大勢の渡来人がやって来たと想像出来ます。

f:id:na-mansan:20200920151251j:plain

御朱印を頂く間お寺の奥様にお話を伺いました。

毎年1月の「初巳大祭護摩供」ではつるし雛バザーが開かれ、売り上げはインド子供基金などに寄付されます。

イケメン僧侶、元三大師(がんざんだいし)は自ら鬼の姿になり、京都の疫病神を退治したそうです。

「早くコロナが終息すると良いですね」
そう言って妙圓寺を後にする、なーまんであった。

鎌倉百八景108-43 長谷の弁天窟 銭洗いは鉄洗い?

f:id:na-mansan:20200913142500j:plain

「洞窟、弁天、銭洗い」
前々回の江ノ島岩屋洞窟に続き・・・
今回も洞窟から!涼しいもので( ̄▽ ̄)

f:id:na-mansan:20200913142627j:plain

長谷と言えば露座の大仏や高さ9.18mの金色の長谷観音のおられる所m(_ _)m

f:id:na-mansan:20200913142817j:plain

長谷寺は海の見えるあじさい寺
花の寺としても人気ですが・・・
あいにく花は品切れのようです(^_^;)

f:id:na-mansan:20200913143225j:plain

放生池の右奥、弁天堂のさらに奥に赤い鳥居!
弘法大師が参籠した弁天窟の入り口です(^_^)v

f:id:na-mansan:20200913143346j:plain

入ってすぐに蛇神様「宇賀福神」が祀られています。
銭洗弁天(宇賀福神社)は蛇身弁財天を祀っていましたね。
こちらでは・・・

f:id:na-mansan:20200913143549j:plain

弁財天とその従者十六童子像が祀られています。
弁天様は元々インドの川の神様!
仏教に取り入れられ辯才天と漢訳されますが・・・

f:id:na-mansan:20200913143731j:plain

鎌倉室町以降「弁財天」と書かれ、
二本の手で琵琶を持つ今の姿になりました。

f:id:na-mansan:20200913143853j:plain

「弁財天」の手前の湧水にはおびただしいお賽銭が!

f:id:na-mansan:20200913144012j:plain

かつて江ノ島岩屋にも湧水があり、霊水で銭を洗うと金運が向上するとされていましたが、今は辺津宮近くに「銭洗い白竜王が祀られています。

f:id:na-mansan:20200913144135j:plain

上が由比ケ浜の砂浜!下が七里ケ浜の砂浜!
七里ケ浜の砂が黒いのは何故か?

大量の砂鉄が含まれているからです!

f:id:na-mansan:20200913144319j:plain

七里ケ浜駅近くを流れる行会川。
かつてこの川の西側は・・・
金洗沢(かねあらいさわ)と呼ばれていました!

f:id:na-mansan:20200913144443j:plain

神功皇后三韓征伐に出兵したのは鉄鉱石を得る為!
半島から鉄が入らなくなると、倭国は東国に鉄を求めました。
鎌倉や鹿島には、豊富な砂鉄があったのです!

f:id:na-mansan:20200913144630j:plain

海岸の砂を真水で洗い砂鉄を採るとお金持ちになる〜♫

銭洗い弁天の清水でお金を洗うと、何倍にも増えると信じられているのは、こうした実体験があるからでは?

f:id:na-mansan:20200913144807j:plain

長谷寺の弁天窟はただの修行窟なのか?
鉱山の跡なのでは?洞窟をさらに奥へと進みます!
そして一番奥、奉納用のミニ弁天の奥には・・・

f:id:na-mansan:20200913144936j:plain

幸の神(双体道祖神)が祀られています!
男女一組の石像、縁結びや子孫繁栄を願う民間信仰
ですが「淫祠」として弾圧される事もあったようです。

f:id:na-mansan:20200913145050j:plain

秦野の「龍蛇神の杜」にも祀られていました。
どうやらここも由比の長者と関係があるようです。

ヨコスカふらふら4 黒船来航!その時ABEは?

f:id:na-mansan:20200906152805j:plain

ここは浦賀水道・・・
向うに見えるのは房総半島(千葉県)

f:id:na-mansan:20200906152903j:plain

1853年黒船が突如現れ大砲(空砲)をぶっ放しました!
いわゆる砲艦外交です ( ̄ロ ̄lll)

f:id:na-mansan:20200906153044j:plain

アメリカのペリー提督達は近くの久里浜海岸に上陸!
アメリカ大統領の国書を携え開国を迫るのでした!

f:id:na-mansan:20200906153157j:plain

そんな出来事がまるで嘘の様に静かな海岸・・・
今日は何にしに久里浜へ?

f:id:na-mansan:20200906153309j:plain

フェリーに乗るわけではなく、10年前「横須賀おみやげコンテスト」で金賞を受賞した「黒船シチュー」をGETする事!

ですが・・・所詮二番煎じか(^_^;)

f:id:na-mansan:20200906153519j:plain

「黒船シチュー」は見つからず、定番の横須賀海軍カレーを頂きます。
葉山牛コロッケをのせ、帝国海軍のレシピ通りサラダと牛乳付き(^_^)v

f:id:na-mansan:20200906153620j:plain

1848年、アメリカはメキシコとの戦争に勝利!

テキサスやカルフォルニアを手に入れます!

ゴールドラッシュで沸き立つ中、ルーズベルト一族はスコップを売って巨万の富を築くのでした・・・

f:id:na-mansan:20200906153807j:plain

こうして超大国への足がかりを築いたアメリカ!

まだ太平洋側が未発達だった為大西洋、インド洋を通り

半年以上かけて日本に到達するのでした。

f:id:na-mansan:20200906154011j:plain

こちらはペリー記念館(入館無料)

f:id:na-mansan:20200906154112j:plain

前回多くの読者のひんしゅくを買ったなーまんのアバター

懲りずに再登場(^_^)v

f:id:na-mansan:20200906154230j:plain

浦賀から羽田まで行って幕府を脅していますね!

一般庶民は結構黒船見物を楽しんでいたようですが、

幕府の重臣はそれどころではありません。

筆頭老中阿部正宏はどうしたか?

f:id:na-mansan:20200906154430j:plain

「みなさんどうしましょうか?」

諸大名から町人に至るまで広く意見を公募!

海軍創設を提案した勝海舟が見出され、抜擢されました。

f:id:na-mansan:20200906154743j:plain

阿部正宏は、徳川斉昭攘夷派をなだめすかしながら、開国へ舵をきって行くのでした。

攘夷が如何に無謀であるか?

その後薩長が身を以て証明しますが、

幕府がそんな事をしたらどうなっていたか?

f:id:na-mansan:20200906155047j:plain

阿部正宏の死後弾圧とテロ殺戮の時代が訪れます。

歴史好きのなーまんですが、幕末はあまり好きではありません。

国際金融資本の影もちらつくし・・・

湘南です34 岩屋洞窟と弁天様の謎

f:id:na-mansan:20200830163230j:plain

久しぶりの江ノ島ネタm(^_^)m
今年の夏はオリンピックで盛り上がる筈でしたが・・・
世界はそれどころではないようです(−_−)

f:id:na-mansan:20200830163352j:plain

これも「超限戦か!」と妄想を膨らませてしまいますが、

世の中恐る恐る経済活動を再開しているようです(^_^)v

f:id:na-mansan:20200830163503j:plain

復旧工事とコロナ騒動で閉鎖中だった江ノ島岩屋洞窟も、

6月にリニューアルオープン!

暑いときは洞窟に限る!!

f:id:na-mansan:20200830163621j:plain

江ノ島は今でこそレジャーアイランドですが、かつては権力者や聖職者など、限られた者しか入島できない霊場でした。

f:id:na-mansan:20200830163734j:plain

552年欽明天皇がお告げにより神を祀り、814年弘法大師空海が岩屋に本宮を創建し「金亀山与願寺」となります。

f:id:na-mansan:20200830163956j:plain

1182年に文覚により弁財天が勧進され、弁天信仰の島となり・・・
江戸時代になると庶民の間にも「江ノ島詣」が流行!

f:id:na-mansan:20200830164112j:plain

ところが・・・

明治政府の命令で僧侶は全員神主に転職させられ、

宗像三女神を祀る「江島神社」になるのです!

f:id:na-mansan:20200830164240j:plain

何が言いたいのか?
「最初に祀られていた神様はどなた様か?」
という事です。

f:id:na-mansan:20200830164434j:plain

最初に祀られていた神様は「蛇神様」だと思います。
縄文社会に最初に稲作と鉄を持ち込んだのは同じ「蛇神様」を信仰する出雲族

f:id:na-mansan:20200830164615j:plain

後から来た天孫族出雲族の土地を奪い、蛇信仰を弾圧しますが国中が大いに乱れ、やむなく三輪山に蛇神様を祀り、八咫の鏡を宮中から出して各地を巡回して布教活動に励んだ・・・

f:id:na-mansan:20200830164738j:plain

八咫の鏡は最終的に伊勢に安置され、太陽神の習合が行われた・・・
そして、伊勢を追い出された伊勢津彦(出雲建子命)の子孫が向かった先が、東国という事になります。

f:id:na-mansan:20200830164859j:plain

ヤマトタケルは相模の国で激しい抵抗に合い、弟橘媛の入水により相模の神はようやく鎮まり・・・

f:id:na-mansan:20200830165018j:plain

最後にやって来た秦氏により神仏習合が行われ・・・
やがて蛇身弁財天が誕生!
弁天様から蛇のイメージは次第に消えて行きます(・_・)

f:id:na-mansan:20200830165130j:plain

ここ江ノ島では龍神は弁天様の夫神とされています。
元々夫婦とも龍蛇神だと思いますが(^。^)

鎌倉百八景108-42 由比の長者のお屋敷は?

f:id:na-mansan:20200823154506j:plain

藤原鎌足が鎌を埋めたから鎌倉で・・・
由比の長者は鎌足の子孫!
と、いう話をして来ましたが・・・
今日は由比の長者のお屋敷を訪ねますm(_ _)m

f:id:na-mansan:20200823154618j:plain

昔は夫が妻の家に泊まりに行く「通い婚」が普通で、子供は妻の実家で育てられました。鎌足が由比の里に泊まった時に出来た子供の子孫が由比の長者?

f:id:na-mansan:20200823154711j:plain

ここは由比ケ浜海水浴場^_^
今年は海の家が営業停止!
自前のテント持参で海水浴を楽しむ人も( ̄▽ ̄)

f:id:na-mansan:20200823154801j:plain

取材の前に腹ごしらえ!
海の見えるカウンター席で〜♫
日替わり海鮮丼八種盛りを頂きますm(^_^)m

f:id:na-mansan:20200823154900j:plain

国境の長いトンネルを抜けると雪国ではなく・・・
鎌倉文学館であった(^_^;)

f:id:na-mansan:20200823154943j:plain

加賀百万石のお殿様前田侯爵の元別邸で、川端康成与謝野晶子芥川龍之介等の直筆原稿や愛用品などを収蔵!
でも内部撮影禁止!なので撤収!

f:id:na-mansan:20200823155101j:plain

「雪国」の作者でノーベル賞作家の川端康成
親族が相続して現在非公開ですがm(_ _)m
で、由比の長者のお屋敷は?

f:id:na-mansan:20200823155223j:plain

文学館入り口交差点の右側、ゴミ置場の脇に立つ
『染屋太郎大夫時忠邸阯碑』(S14/3・鎌倉町青年団)
藤原鎌足の玄孫で南都東大寺僧正、良弁の父。697〜728年にかけて鎌倉に居住し、関東八カ国の総追捕使で由比の長者と称する。
と、あります。

f:id:na-mansan:20200823155357j:plain

ところが、万葉集を元に古代の地名を研究した遊行寺の僧由阿の『詞林采葉抄』には鎌足の孫「漆屋太郎大夫時忠とあり「染」「漆」の略字「柒」(しつ)」の写し間違えで、由阿の記述が正しいのではないかと思われます。

f:id:na-mansan:20200823155732j:plain

秦野市伊勢原市の間にそびえる大山の中腹に、良弁が創建した大山寺があります。
『大山縁起』には良弁は鎌倉郡由比郷の漆部(ぬりべ)氏の人也とあります。
ところが・・・

f:id:na-mansan:20200823160006j:plain

東大寺縁起絵巻』には相模国大住郡漆窪(大山の麓)の出身とあります。

そして続日本紀によると良弁と同世代の漆部 伊波(ぬりべのいわ)という人物が東大寺に莫大な寄進をし、藤原仲麻呂の乱を鎮めた功績により相模宿禰の姓を賜り相模国に任命されたそうです。

父の名前は漆部足人。

由比の長者や良弁の本姓は「漆部」のようです。

f:id:na-mansan:20200823160305j:plain

甘縄神明神社は略誌によると710年「染谷時忠」の創建

主祭神
天照大御神

配祀神
倉稲魂命(稲荷)
伊邪那岐命(白山)
武甕槌命(春日)
菅原道真(天神)

f:id:na-mansan:20200823160417j:plain

稲荷、白山といえば秦氏の神!
不比等春日山武甕槌命を祀ったのも同じ710年!
鹿島の多氏との関係も非常に深いと感じます!

f:id:na-mansan:20200823160535j:plain

太安万侶の出身氏族多氏と藤原氏、そして秦氏との関係は?!

調査はまだまだ続きそうです(^_^)

f:id:na-mansan:20200823160646j:plain

取材を無事終え・・・
「由比の長者団子」を食べるなーまんであった^_^

湘南です33 ヒマワリと縄文遺跡 日の丸は何故赤い?

f:id:na-mansan:20200816144131j:plain

今年の夏は海の家もナシ(−_−)
そこで今回は海辺でなく川辺の湘南!
ヒマワリと太陽のお話ですm(^_^)m

f:id:na-mansan:20200816144231j:plain

ココは相模川の沿岸、座間市のヒマワリ畑〜♫

鉄牛というお坊様が相模川「湘川」と呼び湘南を広めました。

f:id:na-mansan:20200816144404j:plain

近くには米軍座間キャンプがあります!
黄色や金色は黒人の方、似合いますね(^_^)v

 

f:id:na-mansan:20200816144517j:plain
ヒマワリといえば太陽を思い出しますが、物心付いたばかりの頃、お日様を黄色で描いて叱られた事があります(;ω;)

f:id:na-mansan:20200816144725j:plain

「お日様は赤で描きなさい!」
気の弱いなーまんは同調圧力に負けてしまいましたが、それ以来お絵描きが嫌いになりました(−_−)

f:id:na-mansan:20200816144934j:plain

しかしお日様を赤で描くのは世界的には少数派!
だいたい黄色か金色だそうです(^_^)v

f:id:na-mansan:20200816145040j:plain

日本でも平安時代までは日の丸は金色でした。
左は平家の日の丸、右が源氏の日の丸!
日の丸が赤になったのは源氏が勝利してから?

f:id:na-mansan:20200816145200j:plain

座間から北へ5km「勝坂遺跡」は5千年前の縄文遺跡!

古事記の舞台「相模の小野」の有力候補地です!

なーまんはヤマトタケルに返り討ちにされた賊の一味v^_^

f:id:na-mansan:20200816145355j:plain

ここには復元された竪穴式住居と、

相模最古の神社「有鹿神社」の奥宮があります!

f:id:na-mansan:20200816145518j:plain

縄文人は栗を栽培していました(^_^)

主な食事は木の実をすり潰してこねて石の上で焼いた、縄文クッキーや猪肉や鹿肉を卵とこねて焼いた縄文ハンバーグなど!

結構グルメですね(^。^)

f:id:na-mansan:20200816145647j:plain

勝坂遺跡内の水源は有鹿神社奥宮の祭神、
水の女神「有鹿比女命」の御神体

f:id:na-mansan:20200816145742j:plain

奥宮から6km南に鎮座する本宮は、太陽の男神
有鹿比古命」を祀っています!!

一時期「大日靈貴命」が祀られていましたが今は旧に復したようです。
※ 大日靈貴命(オオヒルメノムチ)は天照大御神の別名

f:id:na-mansan:20200816145945j:plain

昔は弥生人縄文人を駆逐したと信じられていましたが、比較的少人数の弥生人が渡来し、何世代もかけてゆっくりゆっくり同化していった事が、科学的に証明されています。

f:id:na-mansan:20200816150137j:plain

こちらはY染色体ハプログループといって、父系で遺伝する染色体のタイプを表しています。紺色がCタイプ、緑系がDタイプ、黄色と橙色がOタイプ。

日本列島とチベットだけが民族浄化を免れている事がわかります。

f:id:na-mansan:20200816150519j:plain

DとOは系統的には疎遠で、Eタイプと兄弟関係にあります。
ナイジェリア、シリア、サウジアラビア等に広がるEタイプの一部が、去年D2タイプに変更されたそうです。

日ユ同祖論も全くのデタラメとは言えない?

 

鎌倉百八景108-41 ぼんぼり祭り2020 大臣山はどこ?

f:id:na-mansan:20200809142553j:plain

多くの祭りが中止される中、

鎌倉の夏の風物詩ぼんぼり祭りが開催中v (^。^)

暦の上ではもう秋ですがm(_ _)m

※開催は8月9日まで

f:id:na-mansan:20200809142807j:plain

この祭りの特色は市内在住の画家や書家、鎌倉にゆかりの有る著名人直筆のぼんぼりが献灯されている事!

f:id:na-mansan:20200809142951j:plain

そして巫女さんが一本一本ロウソクを灯してゆく事ですm(_ _)m

f:id:na-mansan:20200809143209j:plain

大石段の辺りは各界の大御所やプロの画伯の皆様の作品が並んでいます!

f:id:na-mansan:20200809143327j:plain

舞殿の周りもしかり(^_^)v
一枚何十万円という方々m(^_^)m

f:id:na-mansan:20200809143436j:plain

あれ?参道が見える(・_・)
例年ならこの時間、参道は三密状態(^_^;)

f:id:na-mansan:20200809143550j:plain

左は脚本家三谷幸喜の作品!
再来年の大河の脚本書きますから(^_^)
右は俳優、竹中直人の作品です( ◠_◠ )

f:id:na-mansan:20200809143713j:plain

左は色っぽいので採用!
右はささめやゆきという版画家の作品^_^

f:id:na-mansan:20200809143830j:plain

左は漫画家、蛭子能収(えびすよしかず)
右は常連、わたせせいぞうの作品(^_^)

f:id:na-mansan:20200809143934j:plain

大石段は確か60段!
その上は上宮(本宮)になっていますm(_ _)m

f:id:na-mansan:20200809144033j:plain

皆、石段に腰を下ろし日本舞踊や琴の演奏を見物するのですが、今年は禁止!

ところで大臣山は?

f:id:na-mansan:20200809144330j:plain

舞殿の奥が大臣山!
上宮(本宮)も大臣山の一部m(_ _)m
ここからはマニアックになりますm(_ _)m

f:id:na-mansan:20200809144445j:plain

本宮東側に登山口が\^_^/

しかし、扉に鍵が (・_・)エッ

山には特に何も無い!道が荒れていて危険!山の後ろがすぐ住宅地で近隣に迷惑がかかるから!だそうです (−_−)

f:id:na-mansan:20200809144659j:plain

本宮西側も探索!こちらの方が広い!
奥は宇佐八幡宮遥拝所、手前が丸山稲荷!
丸山稲荷は本宮より高い位置に(・_・)エッ

f:id:na-mansan:20200809144815j:plain

昔から、本宮の場所に稲荷社が祀られていました。
本宮造営の時、西に移したのが今の丸山稲荷m(_ _)m
はるか昔、稲荷社を祀ったのは誰か???

f:id:na-mansan:20200809145017j:plain

宇佐八幡宮が全国的に有名になったのは、
奈良の大仏造営に大貢献したから!

f:id:na-mansan:20200809145125j:plain

八幡神は、天地の神を率い我が身を投げうって東大寺建立に協力する!

とご託宣!

お告げ通り、東北から黄金が発見されました\^_^/

f:id:na-mansan:20200809145257j:plain

そして東大寺の開山(寺を創設した僧)になったのは?

相模国出身の良弁(ろうべん) v (^_^)

そして良弁の兄弟と思われるのが・・・
由比の長者\^_^/

f:id:na-mansan:20200809145437j:plain

八幡とは八秦という意味!
たくさんの秦、ヤハタと読むのが本来の読み方!

f:id:na-mansan:20200809145607j:plain

「オール秦」の協力で完成したのが大仏!
そして由比の長者は関東諸国の総司令官に!

由比の長者とは何者なのか?

つづきはいずれまたm(^_^)m